明石海峡大橋開通20年で七色に飾られています。
「神戸が最初」の記事を書いてきましたので、今回は、神戸港が開港151年(平成30年)目にあたりますので、神戸と港について書いてみました。
平安時代(794~1192)には、平清盛によって「径が島」が築造され(1174)国際貿易の拠点として発達してきました。江戸時代には、「兵庫の津」として国内交通の重要な役割をはたし、北前船、高田屋嘉兵衛の活躍などでおおいににぎわいました。
幕末になり外国船の来航で港の機能は兵庫の津から東に移り、1865(元治元)年には、勝海舟指導のもと、江戸幕府管轄の海軍操練所ができて坂本竜馬らが勉強しました。
1868年1月1日(慶応3)開港、外国人が多数来て、居留地ができました。平成18年(2006年)には神戸空港が開港して、海・空・陸と交通の交流点として大いに発展してきて、今年で151年目となりました。
径が島辺り(神戸市兵庫区)
この辺りに径が島を清盛が造ったと言われています
兵庫の津(神戸市兵庫区)
江戸時代に国内交通の拠点として栄えました
神戸海軍操練所(神戸市中央区)
江戸時代末期に勝海舟が造った海軍兵養成所
現在の神戸港
神戸空港
JR三宮駅
ここには、JR以外に阪神電車、阪急電車、神戸地下鉄の駅があります
12月24日(日)は、中央競馬の有馬記念が行われます。有馬記念の由来は、農林大臣の有馬頼寧(よりやす)氏の功績を讃えるために、毎年最後の日曜日に行われます。
その有馬氏の先祖は、ここ(兵庫県神戸市北区)淡河城主で、後に九州久留米の大名まで出世しました。
有馬氏が崇拝し祈願所としたのが淡河八幡神社です。
淡河八幡神社
淡河 八幡神社(兵庫県神戸市)
「炭酸せんべい」は明治40(1907)年頃、三津森本舗の創業者三津繁松氏が色々工夫して、薄く焼き上げる事に成功しました。炭酸煎餅の原材料は小麦粉、片栗粉、砂糖、塩を炭酸水で練るという単純なもので薄く焼き上げてあるのでお腹に優しい食品として製造当初は離乳期の赤ちゃんや病後の老人食としても使われていました。
それが後に有馬温泉の特産土産品となるのですが、有馬郡誌には炭酸煎餅は炭酸水を原料にして、数種の滋養成分を加味調和して製造し風味淡白、滋養豊富な土産用として好適の品であるとしています。
(参考資料:三津森本舗HP)
お土産の炭酸せんべい
「炭酸水」は、明治8(1875)年に内務省司薬場が大阪にできたのを機に検査をした結果、浴用、飲料水としても優れていることがわかりました。それまでは、「鳥類、虫、けだものがこの水をのめばたちどころに死すなり」と言い伝えられて、毒水としてだれも近づきませんでした。
源泉
源泉は、神社のような雰囲気で覆われています
神戸港が1868年に開港され、多くの外国人がくる来るようになりましたが、日本では食肉文化が定着しておらず、農家の作業等に飼育されていた但馬牛を食べたイギリス人が、その味を絶賛しました。これがのちに「神戸ビーフ」と呼ばれ、外国へ輸出されたり、全国に流通するようになりました。神戸開港と同時に伊藤博文が兵庫県知事に就任するが、イギリス留学経験がある伊藤は好んで神戸ビーフを食べていたと言われています。
(参考資料、写真:Wikipedia)
神戸ビーフ
インスタントコーヒーが日本に最初に現れたのは、1938(昭和13)年に「ネスカフェ」の商品名で輸入され市販されました。ネスレの日本での本社は神戸です。」
世界で最初に発明されたのは、1771(明和8)年、イギリスで発明されました。
現在売られているネスカフェインスタントコーヒー
1969(昭和44)年、UCC上島珈琲が「UCCミルク入り」缶コーヒーを発売しました。UCC本社は神戸
缶コーヒーを最初に発明したのは、1958(昭和33)年に外山食品が「ダイヤモンド缶入りコーヒー」を発明しましたが、会社は倒産して詳しいことはわかりません。
現在売られているUCCミルク入り缶コーヒ
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