カテゴリー「旅行・地域」の記事

2017.05.09

慈尊院(女人高野 和歌山県)

この寺は、弘法大師が816(公仁7)年に高野山を開いたときに、高野山の表玄関として創建して、高野山の庶務を司る場所としました。

高野山へ続く道の道標として、109Mごとに180の町石を建てました。その一番最初の町石がこの地にあります。

弘法大師の母親が、息子に会いたくて、香川県善通寺から出てこられましたが、当時の高野山は女人禁制でしたので、この慈尊院で暮らしておられました。弘法大師は月に9度、母親に会いに来られたので、この地を9度山と名付けられました。

祈願堂と大日塔
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慈尊院境内図(クリック拡大)


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弥勒堂
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弥勒堂

弥勒菩薩と弘法大師の御母像が安置されています。
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境内
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乳房の絵馬
女人高野と言われており、子授け、授乳、良縁などを願って、乳房型の絵馬を奉納する女性が多く参拝されます。
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有吉佐和子著「紀の川」に乳房方の絵馬について書かれています。
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大日塔
大日如来が祀られています。弘法大師創立、現在の塔は1624~1643年に再建された塔です。
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弘法太子堂
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鬼子母神堂
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ゴンの碑
空海を高野山に案内した犬を記念して、後に慈尊院に飼われていた和歌山犬をモデルに碑が建てられました。
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築地塀
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築地塀↑(クリック拡大)
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北門↓

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訪ねたのは桜満開の頃でした
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下乗石(げじょういし 北門横にあります)
ここから先は、馬、駕籠などから降りなさいと言う目印で、この石は「下」の文字は見えますが、「乗石」の文字は埋まっているか折れて無くなったかです。
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和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

2017.05.06

丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ 和歌山県)


弘仁年間空海(弘法大師)は、真言密教修法の道場の地を求めて、各地を行脚されていた時、
猟師に出会い、高野という山上の霊地があることを教えられ、 猟師は、従えていた白・黒二頭の犬を放ち、空海を高野山へ導きました。これは、神が猟師の姿となって空海を導いたのです。
その事を嵯峨天皇に上奏し、天皇は深く感銘され、一山(高野山)を空海に下賜された。


空海は高野山の政所(一山の政務庶務を司る所)として慈尊院を開いた時、参道中央上壇に丹生高野明神社(現丹生官省符神社)を創建奉祀され諸神への祈願地とされました。

霊場高野山町石道の登山口です。


慈尊院境内から神社に通じる階段があります
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桜満開のころでした
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本殿
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本殿に掲げられた空海と猟師の出会いの場面
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本殿横にある空海と猟師の出会いの場面
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119段の階段 下から        上から
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町石道(ちょういしみち)

「慈尊院」から「高野山」までの参道(町石道)に、1町(約109M)毎に道標が建てられています。高さ約3Mの石柱で、慈尊院から高野山の伽藍までの180本、伽藍から奥の院御廟まで36本建てられています。かっては、参拝者は、1町毎に手を合わせて祈りながら登山したと言われています。


丹生官省符神社への登る階段の右手に「180町」番目の町石が立っています。
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179町石
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丹生官省符神社
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835 

 

 

2017.05.03

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ 和歌山県)

この地に当社が創建されたのは、「日本書記」に「天野の祝」として当社のことが書かれており、1700年以上も前のことと伝えられています。
 
1200年前には、真言密教の道場の地を探しておられた弘法大師を高野山にお連れしましたら、大師はこの地を借り受け、山上に大伽藍を建てられて高野山を開かれました。また、高野山参拝には、町石道を登り当社に参拝して山上へと向かいました。
元寇の時、この社で祈祷をしたら、元軍が撤退したので、鎌倉幕府の崇敬は厚くなり、紀ノ國の一之宮となりました。
※モンゴルが日本に攻め込んだ、1274年の文永の役、1281年の弘安の役を言う。
 
全国の丹生神社系統の社180社の総本社です。
 
平成16年、「紀伊山地の霊場と参道」の丹生都比売神社境内として世界遺産に登録されました。

 

大鳥居
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輪橋と鏡池
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橋の上から池を望む
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橋の上から本殿を望む
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輪橋
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境内マップ
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楼門
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鎌倉時代に北条政子の寄進により本殿が四殿となりました。
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大峰修験者の碑(本殿の左側にあります)
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光明真言板碑
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宝篋印塔(ほうきゅういんとう)
墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種。
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和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230番地


2017.04.15

粉河寺と桜(和歌山県)

粉河寺は、奈良時代末の770(宝亀元)年の開創です。
1585(天正13)年に豊臣秀吉によって多くの堂塔伽藍、寺宝が焼かれました。
江戸時代になって、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって諸堂が完成しました。
 
当寺所有の「粉河寺縁起」(国宝)には、開創について二つの説話が語られています。
 
1)紀伊の国の猟師:大伴孔子古が山中で光るものをみつけ、そこに庵を建てました。それが粉河寺のはじまりです。その家に童行者が訪ねてきて泊めてくれと言いました。泊めてもらったお礼にと7日かけて千手観音の像を刻んでおいて行きました。孔子古は、その金色の像を見て、観音を信仰するようになりました。
 
2)河内国の長者:佐太夫の娘は重い病気にかかっていました。そこへ童行者が先手千眼阿羅尼を称えて祈祷すると娘の病は全快しました。お礼の品を差し出すが受け取らず、「私は、紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去りました。後に長者一家が那賀郡を訪ねると小さな庵に先手観音像が立っていましたので、あの行者が観音の化身であったことが分かりその場で出家して粉河寺の繁栄に尽くしました。


粉河寺はについては、清少納言の枕草子や多くの本に記述があります。それから推測すると平安時代中期・10世紀には観音霊場として有名であったことがわかります。



大門
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仁王像
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大門裏側
ちょうど桜が満開です。(4月6日)
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大門を入った所で満開の桜が迎えてくれました
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境内案内図(クリック拡大)
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童男堂
千手千眼観世音が姿を変えられて童男が祀られています
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出現池
千手観音の化身:童男行者がこの池から出現したと伝えられています。
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念仏堂
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阿弥陀如来坐像
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太子堂(聖徳太子をお祀りしています)
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中門
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本堂
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牧水歌碑(若山)
遍路の衆の打ち鳴らす
鉦鉦(かねがね)きこゆ 秋の樹の間に
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芭蕉句碑と丈六堂
「ひとつぬきて うしろのおいぬ ころもがえ」

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湯浅桜と六角堂
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薬師堂
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鐘楼と本堂と桜
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クスノキ
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このクスノキについて、寺伝によれば770年頃の記述があります
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たのもしの宮(産土神社)
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桃山時代の石庭
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御神木
和歌山県下3番目の大木で、紀伊風土記に「境内に噂の大木あり」と書かれています。
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和歌山県紀の川市粉河2787



2017.04.12

根来寺とさくら(和歌山県)

根来寺は、平安後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1132(長承元)年に高野山内に一堂を建て、大伝法院と称したことに始まる。

その後、1140(保延6)年には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。覚鑁一門は高野山を下りて、根来にある豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移しさらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。
豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は3年後の1143(康治2)年、この地で49歳の生涯を閉じました。

その後、大いに繁栄しますが、天下統一を目指す豊臣秀吉と対立して、1585(天正13)年大塔などを残して全山消失しました。
江戸時代になって徳川家の庇護のもとで復活して、現在の境内は36万坪、四季の変化に富んで多くの参拝客でにぎわっています。

根来寺大門

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桜満開でした(4月6日)
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大伝法堂(根来寺の本堂)
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大塔(高さ40Mの木造建築で国宝)
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大師堂(弘法大師さまをお祀りしています)
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奥の院
宗祖覚鑁(かくばん)上人のお墓
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光明殿
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不動堂
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根来寺(和歌山県岩出市根来2286)

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2017.03.22

千体地蔵(三木市)と昼食:ふく蔵(加西市)

山陽自動車三木東IC近くの大谷川の川沿いの山裾一面に多数のお地蔵さんが置かれており、 年代ははっきりしませんが、室町時代から子宝地蔵として信仰を集めています。

千体地蔵

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兵庫県三木市志染町井上





昼食は「ふく蔵」です。

ここは、創業1839(天保19)年の酒造;富久錦の建物をそのまま使ったレストランです。

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天然やきあなご膳 ¥1700(税別)5_r


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兵庫県加西市三口町1048



2017.03.20

インドの法道仙人が開いたお寺(6)    各地

 

法道仙人にちいては、清水寺の平安末期の文章や元亨釈書(げんこうしゃくしょ 鎌倉末期の仏教史書)によると3紀中ごろに紫雲に乗って中国・百済を経て日本に飛来、山並みが蓮の花のように八葉に分れた谷から五色の光を放つ場所を見つけて降り立ったのが法華山(加西市)でした。そして一乗寺を建立してここを起点として兵庫県内を中心に活動し、遠くは鳥取、九州、四国にまで及び約120以上の寺院を開基したと伝わっています。

法道仙人の建立されたお寺は、山奥に多く造られたので、昔のままの姿で残っているものが多く、また、紅葉、桜の名所となっています。


法道仙人については、伝承でしか分からず、来日は、
3世紀中ごろと言われており、お寺の建立は、640~650年代が多く、
最後の開基寺が新善寺(神戸市)が840年で、インドから来日依頼実に600年間に及び、富山、鳥取、九州、四国と広範囲にわたってお寺を建立してきたことになります。


後に開基のわからないお寺が法道仙人伝説を使って、各寺が法道仙人が開基したことにしたのではないかと思われます。

仙人は、多くのお寺を建立したあと天竺(インド)に帰られたと言われています。




法道仙人開基の120寺の一部です
                                                                                                     
 

山号/寺院名

 
 

建立年

 
 

所在地

 
 

金楽山 法楽寺

 
 

642~645年

 
 

神崎郡神河町中村1048

 
 

五峰山 光明寺

 
 

594(古い年代)

 
 

加東市光明寺433

 
 

柏谷山 西林寺

 
 

651

 
 

西脇市坂本455

 
 

鉾礼山 正法寺

 
 

649

 
 

三木市別所町正法寺157

 
 

近江山 近江寺

 
 

646

 
 

神戸市西区押部谷町近江147

 
 

道林山 横蔵寺

 
 

白雉年間650年から654年まで、天皇は孝徳天皇)

 
 

加古川市平岡町新在家900

 
 

野寺山 高蘭寺

 

のでら こうおんじ

 
 

白雉年間

 
 

加古郡稲美町野寺851

 
 

蓬莱山 普光寺

 

ほうらいさんふこうじ

 
 

651

 
 

加西市河内町1449

 
 

竹林山 常勝寺

 

ちくりんじょうしょうじ

 
 

大化年間(最初の元号。西暦645年から650年)

 
 

丹波市山南町谷川2630

 
 

摩耶山 忉利天上寺

 

まやとうりてんじょう

 
 

646年 法道仙人が持参した

 

十一面観音菩薩像6cmあり

 
 

兵庫県神戸市灘区

摩耶山町2-12

 
 

 

新善寺

 
  840 (新しい年代)  

 本堂の南僧尾観音堂  

が残っています

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兵庫県神戸市北区淡河町南僧尾

 
 

六甲山 多聞寺

 

ろっこうさんたもんじ

 
 

645654年

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神戸市北区有野町唐櫃

 
 

打吹山 長谷寺

 

うつぶきやま ちょうこくじ

 
 

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鳥取県倉吉市

 
 

耆闍崛山 羅漢寺

 

ぎゃくつせん らかんじ

 
 

645年(大化)

 
 

大分県中津市

 
 

金光山 仙龍寺

 

きんこう せんりゅうじ

 
 

創建不詳

 
 

愛媛県四国中央市

 
 

芹谷山 千光寺    

 
 

703

 
 

富山県砺波市芹谷

 
 
 

2017.03.17

インドの法道仙人が開いたお寺(5)    石嶺寺(兵庫県)

石峯寺(しゃくぶじ)は、寺伝によれば651年(白雉2年)、孝徳天皇の勅願により法道が開山したとされ、延命地蔵と称する地蔵菩薩を本尊とする。747年(天平19年)、行基が薬師堂を建立し、823年(弘仁14年)、嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したと伝えられています。真言宗の寺院で山号は岩嶺山(がんれいさん)。

石峰寺
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本堂

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三重塔(823年に建立)
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薬師堂(747年に行基が建立)
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この奥には、徳川将軍のお墓、明石城主や淡河(おうが)城主のお墓があります。右が家光公の墓所

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山門

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場所:兵庫県神戸市北区淡河町神影110-1

2017.03.15

インドの法道仙人が開いたお寺(4)    伽耶院(兵庫県)

伽耶院(がやいん)は兵庫県三木市にある天台系修験道の寺院。山号は大谷山(おおたにさん)。宗派は本山修験宗。本尊は毘沙門天。
古くは大谿寺(だいけいじ)あるいは東一坊(といちぼう)と称していたが、1681年に後西上皇の勅によりインドの仏陀伽耶(ブッダガヤ)に因む寺号、伽耶院(がやいん)と改めた。

 645年(大化元)年、インドの法道仙人によって建立されました。

1578(天正6)年の秀吉三木城攻め、1609(慶長14)年の大火によって建物は全焼しました。現在の建物は、それ以降のものです。
今も体育の日には、200名以上の山伏姿の修験者が集まり、採燈大護摩が行われ、山伏の寺として知られています。


本堂

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伽耶院説明(クリックで拡大)
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本堂と多宝塔
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伽耶院説明(クリックで拡大)
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ご本尊
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護摩道場
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行者堂
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開山堂
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開山堂説明(クリックで拡大)
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二天堂
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二天堂像
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臼稲荷
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臼稲荷説明
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臼を抱いた紅葉の木
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ぽっくりさん

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水子地蔵
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こんな看板がありました
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伽耶院の近くに地元の造り酒屋稲葉酒造(株)があります。

清酒 染櫻 大吟醸    4合瓶(720ml)   3,050円 

好きな方は、寄られたら味見酒ができます。
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場所 兵庫県三木市志染町大谷410 
 

2017.03.13

インドの法道仙人が開いたお寺(3)    清水寺(兵庫県)

清水寺(しみずでら)は、三草山の東にある御獄山(みたけさん 標高552M 兵庫県加東市平木)の山頂にあります。
播州清水寺の開基は、インドからやって来た法道仙人で、天竺(インド)から紫雲に乗ってこの地へやって来たという伝説が残されています。しかも、清水寺を建てたのは、今から
1800年も前、第十二代景行天皇が治められていた時代のことで、歴史に残る仏教伝来(538年、または552年)よりも遥か前とされています。古い時代からの言い伝えですから正しいかどうかは不明です。
※景行天皇(けいこう)は、古事記、日本書紀に書かれていますが、存在がよくわからない天皇です。仮説では、4世紀前半にあたるようで、日本書記によると143歳まで生きられたことになります。

その後、627年に推古天皇の勅願により「根本中堂」が建立され、法道仙人が一刀三礼(刀を一度入れるたびに三度の祈りを捧げること)で彫ったご本尊「十一面観音(秘仏)」が安置されるようになりました。

清水寺の名前は、水に乏しかったこの地で、法道仙人が水神に祈ったところ、霊泉「滾浄水(こんじょうすい)」が湧き出したという伝説から取られています。


このお寺は、源平との縁は深く、大塔は清盛の生母と言われる祇園女御、薬師堂は清盛の養母:池禅尼、阿弥陀堂(現在は建物はありません)は源頼朝が建立したと伝えられています。
寺宝の中に
「弁慶の碁盤」と伝わるものがあります。源氏の軍勢が当寺に立ち寄った時、弁慶が僧と碁をさし、負けたことに腹をたてた弁慶が碁石を碁盤にたたきつけ、碁石がめりこんだと伝わっています。また、西坂中腹には、弁慶が担ぎあげたが力尽きて置いたという「弁慶の力石」があります。


仁王門




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大講堂
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根本中堂(627年に推古天皇が建立)
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大塔跡






薬師堂






鐘楼
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兵庫県加東市社町平木1194

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