カテゴリー「旅行・地域」の記事

2017.11.17

男はつらいよロケ地 岡山県高梁市

11月14日(土)18:30 BSジャパンで「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(主演:渥美清さん)」(32作)を放送していました。この映画のロケ地が日本一高い所に天守閣がある備中松山城の所在地:岡山県高梁市で以前訪ねたことがありました。

  

BSジャパンでは、毎週「土曜は寅さん」と、今年の4月8日から放映しています。

私ももう7~8本見ました。

 

タイトルが流れて、寅さんがレオナルド熊さんと絡む場面のバックに備中国分寺(岡山県総社市)の五重塔が出てきます。
備中国分寺五重塔

2


このあたりで寅さんと熊さんが出合います
20140423_1_r


薬師院
映画では蓮台寺と呼ばれ、マドンナの竹下景子さんと出会って、一時、寅さんがお坊さんになって暮らすお寺
7_r


山門の上にまだまだ階段があります、その途中でマドンナと出会います
10_r


Photo 165

Photo_2


武家屋敷通り
山の頂上に松山城があります
11_r


岡村邸
武家屋敷通りの端にあってここが妹:さくらの旦那:博さんの実家となっています。この屋敷の相続問題で博さん一家がもめます。

_r


紺屋通り
昔の風情がそのまま残っていて映画でも杉田かおるさんの家の酒屋、寅さんがさくらに電話する場面などでしばしば登場します。
94_r


高梁市
Photo_4


備中松山城

二重に見えるが三重のの天守閣です。戦国時代、この地は重要拠点であったため城主は多く変わっています。
2_3



この場面は昨年の大河「真田丸」に登場しました。
60_r


高梁市は、山田監督のお気に入りの場所のようで「寅次郎恋歌」(8作 マドンナ:池内淳子さん)のロケ地にもなっています。




岡山県高梁市

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.11.12

明石市マンホール2

Img_20170919_125522


兵庫県明石市のマンホール

天文台と日本の中心135度線が描かれています
🐱🏃💿

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017.05.09

慈尊院(女人高野 和歌山県)

この寺は、弘法大師が816(公仁7)年に高野山を開いたときに、高野山の表玄関として創建して、高野山の庶務を司る場所としました。

高野山へ続く道の道標として、109Mごとに180の町石を建てました。その一番最初の町石がこの地にあります。

弘法大師の母親が、息子に会いたくて、香川県善通寺から出てこられましたが、当時の高野山は女人禁制でしたので、この慈尊院で暮らしておられました。弘法大師は月に9度、母親に会いに来られたので、この地を9度山と名付けられました。

祈願堂と大日塔
_r_2


_r_4

慈尊院境内図(クリック拡大)


Photo

弥勒堂
_r

Photo_3


弥勒堂

弥勒菩薩と弘法大師の御母像が安置されています。
_r_3




Photo_2


境内
_r_2_2


乳房の絵馬
女人高野と言われており、子授け、授乳、良縁などを願って、乳房型の絵馬を奉納する女性が多く参拝されます。
4


有吉佐和子著「紀の川」に乳房型の絵馬について書かれています。
(クリック拡大)
Photo_4

大日塔
大日如来が祀られています。弘法大師創立、現在の塔は1624~1643年に再建された塔です。
Photo_5


弘法太子堂
Photo_4


Photo_5



鬼子母神堂
Photo_10


Photo_11


_r_4



ゴンの碑
空海を高野山に案内した犬を記念して、後に慈尊院に飼われていた和歌山犬をモデルに碑が建てられました。
29_r



築地塀
_r_2

築地塀↑(クリック拡大)
Photo_6
北門↓

_r_3


訪ねたのは桜満開の頃でした
Photo_7


下乗石(げじょういし 北門横にあります)
ここから先は、馬、駕籠などから降りなさいと言う目印で、この石は「下」の文字は見えますが、「乗石」の文字は埋まっているか折れて無くなったかです。
Photo_8

Photo_9




和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2017.05.06

丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ 和歌山県)


弘仁年間空海(弘法大師)は、真言密教修法の道場の地を求めて、各地を行脚されていた時、
猟師に出会い、高野という山上の霊地があることを教えられ、 猟師は、従えていた白・黒二頭の犬を放ち、空海を高野山へ導きました。これは、神が猟師の姿となって空海を導いたのです。
その事を嵯峨天皇に上奏し、天皇は深く感銘され、一山(高野山)を空海に下賜された。


空海は高野山の政所(一山の政務庶務を司る所)として慈尊院を開いた時、参道中央上壇に丹生高野明神社(現丹生官省符神社)を創建奉祀され諸神への祈願地とされました。

霊場高野山町石道の登山口です。


慈尊院境内から神社に通じる階段があります
13_r


36_r




桜満開のころでした
47_r


本殿
Photo


55_r_2





54_r


(クリック拡大)
Photo_2




(クリック拡大)
本殿に掲げられた空海と猟師の出会いの場面
Photo_4



本殿横にある空海と猟師の出会いの場面
50_r

Photo_5





_r_2




119段の階段 下から        上から
43_r  44_r


Photo_3


37_r_2



Photo_2


町石道(ちょういしみち)

「慈尊院」から「高野山」までの参道(町石道)に、1町(約109M)毎に道標が建てられています。高さ約3Mの石柱で、慈尊院から高野山の伽藍までの180本、伽藍から奥の院御廟まで36本建てられています。かっては、参拝者は、1町毎に手を合わせて祈りながら登山したと言われています。


丹生官省符神社への登る階段の右手に「180町」番目の町石が立っています。
38_r


40_r


179町石
Photo_4


58_r

 



丹生官省符神社
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835 

 

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017.05.03

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ 和歌山県)

この地に当社が創建されたのは、「日本書記」に「天野の祝」として当社のことが書かれており、1700年以上も前のことと伝えられています。
 
1200年前には、真言密教の道場の地を探しておられた弘法大師を高野山にお連れしましたら、大師はこの地を借り受け、山上に大伽藍を建てられて高野山を開かれました。また、高野山参拝には、町石道を登り当社に参拝して山上へと向かいました。
元寇の時、この社で祈祷をしたら、元軍が撤退したので、鎌倉幕府の崇敬は厚くなり、紀ノ國の一之宮となりました。
※モンゴルが日本に攻め込んだ、1274年の文永の役、1281年の弘安の役を言う。
 
全国の丹生神社系統の社180社の総本社です。
 
平成16年、「紀伊山地の霊場と参道」の丹生都比売神社境内として世界遺産に登録されました。

 

大鳥居
10_r


輪橋と鏡池
1_r




橋の上から池を望む
13_r


橋の上から本殿を望む
14_r


輪橋
Photo





境内マップ
Photo

クリック拡大
Photo_2


楼門
15_r



17_r


鎌倉時代に北条政子の寄進により本殿が四殿となりました。
20_r



大峰修験者の碑(本殿の左側にあります)
800x601_r

 

Photo_3


光明真言板碑
Photo_4



Photo_5

宝篋印塔(ほうきゅういんとう)
墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種。
Photo_2


Photo_3






4_r



和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230番地


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017.04.15

粉河寺と桜(和歌山県)

粉河寺は、奈良時代末の770(宝亀元)年の開創です。
1585(天正13)年に豊臣秀吉によって多くの堂塔伽藍、寺宝が焼かれました。
江戸時代になって、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって諸堂が完成しました。
 
当寺所有の「粉河寺縁起」(国宝)には、開創について二つの説話が語られています。
 
1)紀伊の国の猟師:大伴孔子古が山中で光るものをみつけ、そこに庵を建てました。それが粉河寺のはじまりです。その家に童行者が訪ねてきて泊めてくれと言いました。泊めてもらったお礼にと7日かけて千手観音の像を刻んでおいて行きました。孔子古は、その金色の像を見て、観音を信仰するようになりました。
 
2)河内国の長者:佐太夫の娘は重い病気にかかっていました。そこへ童行者が先手千眼阿羅尼を称えて祈祷すると娘の病は全快しました。お礼の品を差し出すが受け取らず、「私は、紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去りました。後に長者一家が那賀郡を訪ねると小さな庵に先手観音像が立っていましたので、あの行者が観音の化身であったことが分かりその場で出家して粉河寺の繁栄に尽くしました。


粉河寺はについては、清少納言の枕草子や多くの本に記述があります。それから推測すると平安時代中期・10世紀には観音霊場として有名であったことがわかります。



大門
4_r

仁王像
Photo   Photo_2


大門裏側
ちょうど桜が満開です。(4月6日)
1_r


クリック拡大
8

大門を入った所で満開の桜が迎えてくれました
7_r


境内案内図(クリック拡大)
8_3





童男堂
千手千眼観世音が姿を変えられて童男が祀られています
24

 

16_r


出現池
千手観音の化身:童男行者がこの池から出現したと伝えられています。
17_r


18_r


2


Photo_4





念仏堂
22_r

 

阿弥陀如来坐像
1_r_3


_edited1


太子堂(聖徳太子をお祀りしています)
27_r


_r_3





中門
1_r_4


35_r



18  18_2


本堂
1_r_8


51_r


3_r


69_r

クリック拡大
Photo_5




牧水歌碑(若山)
遍路の衆の打ち鳴らす
鉦鉦(かねがね)きこゆ 秋の樹の間に
4


芭蕉句碑と丈六堂
「ひとつぬきて うしろのおいぬ ころもがえ」

_r


湯浅桜と六角堂
_r_2

Photo



薬師堂
1_r_6





鐘楼と本堂と桜
64_r

65_r



クスノキ
1_r_7

このクスノキについて、寺伝によれば770年頃の記述があります
Photo_5





1_r


たのもしの宮(産土神社)
1_r_2


Photo_3

Photo_2



桃山時代の石庭
4_r


1_r_3


_r



1_r_4


御神木
和歌山県下3番目の大木で、紀伊風土記に「境内に噂の大木あり」と書かれています。
22


Photo_4


_r_2



和歌山県紀の川市粉河2787



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017.04.12

根来寺とさくら(和歌山県)

根来寺は、平安後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1132(長承元)年に高野山内に一堂を建て、大伝法院と称したことに始まる。

その後、1140(保延6)年には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。覚鑁一門は高野山を下りて、根来にある豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移しさらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。
豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は3年後の1143(康治2)年、この地で49歳の生涯を閉じました。

その後、大いに繁栄しますが、天下統一を目指す豊臣秀吉と対立して、1585(天正13)年大塔などを残して全山消失しました。
江戸時代になって徳川家の庇護のもとで復活して、現在の境内は36万坪、四季の変化に富んで多くの参拝客でにぎわっています。

根来寺大門

Photo

12_r


18_r_2   18_r_1


クリック拡大
Photo
             ポケモンGOは禁止です


クリック拡大
Photo_3



桜満開でした(4月6日)
13_r




20_r


大伝法堂(根来寺の本堂)
21_r


大塔(高さ40Mの木造建築で国宝)
23_r_6

クリック拡大
Photo_2




大師堂(弘法大師さまをお祀りしています)
26_r


奥の院
宗祖覚鑁(かくばん)上人のお墓
39_r

41_r_4


43_r


光明殿
45_r


49_r


不動堂
Photo_2





58_r





Photo

 

根来寺(和歌山県岩出市根来2286)

次の記事 粉河寺と桜(和歌山県)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017.03.22

千体地蔵(三木市)と昼食:ふく蔵(加西市)

山陽自動車三木東IC近くの大谷川の川沿いの山裾一面に多数のお地蔵さんが置かれており、 年代ははっきりしませんが、室町時代から子宝地蔵として信仰を集めています。

千体地蔵

Photo


クリック拡大
1000


4_3


4_19


Photo_2

兵庫県三木市志染町井上





昼食は「ふく蔵」です。

ここは、創業1839(天保19)年の酒造;富久錦の建物をそのまま使ったレストランです。

Photo_3



天然やきあなご膳 ¥1700(税別)5_r


3_r_2


7_r_2

兵庫県加西市三口町1048



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017.03.20

インドの法道仙人が開いたお寺(6)    各地

 

法道仙人にちいては、清水寺の平安末期の文章や元亨釈書(げんこうしゃくしょ 鎌倉末期の仏教史書)によると3紀中ごろに紫雲に乗って中国・百済を経て日本に飛来、山並みが蓮の花のように八葉に分れた谷から五色の光を放つ場所を見つけて降り立ったのが法華山(加西市)でした。そして一乗寺を建立してここを起点として兵庫県内を中心に活動し、遠くは鳥取、九州、四国にまで及び約120以上の寺院を開基したと伝わっています。

法道仙人の建立されたお寺は、山奥に多く造られたので、昔のままの姿で残っているものが多く、また、紅葉、桜の名所となっています。


法道仙人については、伝承でしか分からず、来日は、
3世紀中ごろと言われており、お寺の建立は、640~650年代が多く、
最後の開基寺が新善寺(神戸市)が840年で、インドから来日依頼実に600年間に及び、富山、鳥取、九州、四国と広範囲にわたってお寺を建立してきたことになります。


後に開基のわからないお寺が法道仙人伝説を使って、各寺が法道仙人が開基したことにしたのではないかと思われます。

仙人は、多くのお寺を建立したあと天竺(インド)に帰られたと言われています。




法道仙人開基の120寺の一部です
                                                                                                     
 

山号/寺院名

 
 

建立年

 
 

所在地

 
 

金楽山 法楽寺

 
 

642~645年

 
 

神崎郡神河町中村1048

 
 

五峰山 光明寺

 
 

594(古い年代)

 
 

加東市光明寺433

 
 

柏谷山 西林寺

 
 

651

 
 

西脇市坂本455

 
 

鉾礼山 正法寺

 
 

649

 
 

三木市別所町正法寺157

 
 

近江山 近江寺

 
 

646

 
 

神戸市西区押部谷町近江147

 
 

道林山 横蔵寺

 
 

白雉年間650年から654年まで、天皇は孝徳天皇)

 
 

加古川市平岡町新在家900

 
 

野寺山 高蘭寺

 

のでら こうおんじ

 
 

白雉年間

 
 

加古郡稲美町野寺851

 
 

蓬莱山 普光寺

 

ほうらいさんふこうじ

 
 

651

 
 

加西市河内町1449

 
 

竹林山 常勝寺

 

ちくりんじょうしょうじ

 
 

大化年間(最初の元号。西暦645年から650年)

 
 

丹波市山南町谷川2630

 
 

摩耶山 忉利天上寺

 

まやとうりてんじょう

 
 

646年 法道仙人が持参した

 

十一面観音菩薩像6cmあり

 
 

兵庫県神戸市灘区

摩耶山町2-12

 
 

 

新善寺

 
  840 (新しい年代)  

 本堂の南僧尾観音堂  

が残っています

4

 
 

兵庫県神戸市北区淡河町南僧尾

 
 

六甲山 多聞寺

 

ろっこうさんたもんじ

 
 

645654年

2

 
 

神戸市北区有野町唐櫃

 
 

打吹山 長谷寺

 

うつぶきやま ちょうこくじ

 
 

721

 
 

鳥取県倉吉市

 
 

耆闍崛山 羅漢寺

 

ぎゃくつせん らかんじ

 
 

645年(大化)

 
 

大分県中津市

 
 

金光山 仙龍寺

 

きんこう せんりゅうじ

 
 

創建不詳

 
 

愛媛県四国中央市

 
 

芹谷山 千光寺    

 
 

703

 
 

富山県砺波市芹谷

 
 
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017.03.17

インドの法道仙人が開いたお寺(5)    石嶺寺(兵庫県)

石峯寺(しゃくぶじ)は、寺伝によれば651年(白雉2年)、孝徳天皇の勅願により法道が開山したとされ、延命地蔵と称する地蔵菩薩を本尊とする。747年(天平19年)、行基が薬師堂を建立し、823年(弘仁14年)、嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したと伝えられています。真言宗の寺院で山号は岩嶺山(がんれいさん)。

石峰寺
8_r_2



(クリック拡大)
8_3

本堂

4_5

Photo_5


(クリック拡大)
Photo_6

 

4_6

三重塔(823年に建立)
26_r


38_r


薬師堂(747年に行基が建立)
4_4



4




4_2

この奥には、徳川将軍のお墓、明石城主や淡河(おうが)城主のお墓があります。右が家光公の墓所

4_5

山門

4_3


Photo



Photo_2

 

 

場所:兵庫県神戸市北区淡河町神影110-1

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧