今日もスタバ
パソコン講習終わってコーヒで一休みです。
夏日の明石海敧峡がみえます。店内はすいています。
ケイタイからのアップです。
パソコン講習終わってコーヒで一休みです。
夏日の明石海敧峡がみえます。店内はすいています。
ケイタイからのアップです。
スタバコーヒは、繁華街にあるものと思っていましたが、明石海峡大橋の見える西舞子海岸にできました。この場所は、焼肉店があった場所です。
国道2号線にそって入口があります。
海側からみた見たスタバです。テラスになっています。
店の中は、70席ほどで、明石海峡大橋が見えます。新しいデートコースなんでしょう、若者でほぼ満員状態です。
濃い目のコーヒーとピーナツバータードーナツを注文しました。ミスドのコーヒより美味しかったです。でも値段は、ミスドの方が安いです。¥570
よく通る道にあるお店で、豆腐料理と言うことで一度は行ってみたいと思っていました。しかし、それほど人が入っていると思われませんでした。
4月某日、たけのこ御飯ランチ¥2600の券が手に入ったので試しに行ってきました。
住所:兵庫県神戸市西区今寺37-6
季節限定「たけのこランチ」です
この間に、何種類かの料理(豆腐、湯葉、たけのこなど)が出ていましたが、
写真はなしです。
最後は、五穀と白米半々のごはん、やさいなどの天ぷらです。
以上、ランチメニューで¥2600
豆腐とたけのこ、ゆばの料理がめずらしく、まぁ美味しかったです。
店のこだわりは、自然の野菜を使った、身体にいい素材を使っておられます。
店の中は、15名ほどのお客さんでほぼ満員状態、予約して行ったほうがいいですね。
交通機関は、バスくらいですので、車で行くほうが便利です。駐車場あります。
有栖川宮熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)が1888年(明治21年)に現在地の舞子柏山(または烏崎(からさき)と呼ばれた)に避暑で来訪。ここからの景勝をいたく気に入った熾仁親王はこの地を買い上げ、その後1893年(明治26年)に別邸の建設を開始した。別邸は1894年(明治27年)に竣工するが、皮肉にも同年暮れに熾仁親王は広島大本営で腸チフスを発症し、この別邸で静養することになる。明けて1895年(明治28年)1月、熾仁親王は舞子別邸で薨去されました。(享年:61歳)
1966年(昭和41年)に神戸市が買収し「市民いこいの家 舞子ビラ」となり、阪神・淡路大震災では既存施設が損壊被害を受け、本館の建設と同時に修繕が進められた。1998年(平成10年)9月に現在の経営体制で再開業した。
有栖川親王は、17歳の時に孝明天皇の妹・和宮親子内親王と婚約したが、公武合体策の一環として和宮親王が将軍・徳川家茂と結婚されることになったため、婚約を辞退されています。1868(慶応4)年、薩長の度重なる挑発に対し幕府軍はついに戦端を開き(鳥羽・伏見の戦い)、ここに戊辰戦争が勃発する。このとき、熾仁親王は自ら東征大総督の職を志願し、就任されました。
新政府軍の総大将として、元の婚約者:和宮親王と対峙し、西南の役では、ともに戦った西郷隆盛とも戦う皮肉な運命にあった方です。
(参考資料:Wikipedia)
山崎豊子さんは、「白い巨塔」の中で、舞子ビラについて次のように書いておられます。
(以下、白い巨塔から)
車は何時の間にか垂水を過ぎ、舞子海岸に入ると、窓の外に淡路島がすぐ目の前に見えた。明石海峡がそこで急に狭まっているためであるらしかった。なだらかな稜線を描いて海に浮いている美しい島影に眼を奪われていると、車は海岸沿いの道から右にそれて、山側に向かって坂道を登って行った。木立が深くなり、陽の光が遮られた鬱蒼とした坂道を登り詰めると、その丘陵の先端に、「舞子ビィラ」と呼ばれる元有栖川宮別邸であったホテルが建っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「じゃあ庭に出よう、松の形が面白いんだ」
・・・・・・・・
紺碧の海が拡がり、海を隔てた真向こうに淡路島が見え、島と海と庭が
渾然と溶け合うような美しさであった。
↑明治時代と↓現在の有栖川邸(舞子ビラ)から見た明石海峡の景色です。
皇太子の青春より
西尾邸は、1919年(大正8)に建てられました。
貿易商だった西尾氏が須磨の高台の須磨離宮公園の西隣に迎賓館として建てました。
1999年(平成11)に神戸有形文化財となり、現在(2012年)は、フランス料理と結婚式場として使われています。建物の一般公開がされていて、地下から屋根裏まで見学することができ、当時のままの姿を見ることができました。
ルアンにて ランチです
ル・アンは、鸞(らん)と言う鳥の名前で、神霊が鳥に化けたものらしいです。
ル・アンの詳しいことは こちらをクリックしてください
1日のお昼に、知り合いが集まって近くのホテルで新年のお祝いをしました。
おせち料理は、造るのも大変なので、食べに行くようにしています。
献立表をみながら料理の写真を決めましたが間違っているかもしれません。9種類の料理がでましたが、7種類しか写していませんでした。
祝通し(イタリアンマスカルポーネと・・・・)
祝肴(紅白柿生酢 祝串 小肌小袖寿司・・・)
合肴(牛フィレ肉のグリエ・・・・・
多喜合わせ(蛸甘露煮 梅大根・・・・
家喜物(鰤唐墨焼き 市松大根・・・・
御飯(焼ぐじ茶漬け)
デザート(フォンダンショコラ・・・)
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