城たびブロガー訪問記10 (黒井城 野村城)
城たびブロガー訪問記もこれが最期です。
担当エリアの丹波市春日町にある黒井城と野村城を紹介します。
黒井城
JR黒井駅から徒歩約10分で登山口まで行けます。
別名を保筑城、保月城とも呼び、猪ノ口山(標高365M)にある山城です。黒井城は、1579(天正7)年8月、明智光秀大軍のまえに落城しました。城跡は、400年の風雪に耐え、戦国時代~織田、豊臣時代にかけての城の様子をそのまま残しています。
「え~~~ 写真これだけ、頂上の本丸跡とか郭、石垣など見たいですよ」
「すみません、写真これだけなんです。今回は、登山道もあって城跡も整備されているようなので、私も登って見たかったです。しかし、兵庫県から招待された城たびブロガーとしては、できるだけ沢山のお城紹介したいので、次の野村城に行くために、残念ながら登城する時間が無いのです。野村城はちゃんと写真とってきますから。」
こんな事情で、写真は少ないので、城の歴史を紹介します。
1335(建武2)年に、この辺りの領主:赤松貞範が山頂に砦を築いたのが始まりです。
その後、城主の変遷があって、1554(天文23)年正月2日年賀の席で、萩野直正が黒井城主荻野秋清を刺殺して黒井城主となり、悪右衛門直正と名乗り丹波の赤鬼と恐れられました。そして、現興禅寺に下館を設け、黒井城の整備に着手して現在の城ができました。
八上城主:波多野秀治(篠山)と共に、丹波平定を目指した明智光秀軍の猛攻を何度も退けましたが1579(天正7)8月、光秀軍の総攻撃についに落城しました。
(参考資料:丹波市教育委員会発行パンフレット)
登山口にある稲荷神社 下館(興禅寺)
JR黒井駅前の石碑
野村城
春日支所で教えていただいたので、ほぼ場所は分かりました。その場所に着いてみると「なに、何処にあるの???」それらしい場所は、田んぼばかりです。もらった地図の場所を車で行ったり来たりしますが分かりません。田んぼで働いている人に聞きました。
「この辺りにお城跡ありますか」
「そこや」 「え???どこ」
「そこにお地蔵さんあるやろ、そのむこうや」 「田んぼばっかりですが」
お地蔵さんのまわりをぐるるっと回って見るとありました。城あとの土塁です。
高い山が黒井城
築城年代は不明、黒井城の支城として野村氏が3代続いて居城する記録はあります。しかし、黒井城が落城すると同時にこの城も廃城になったと思われます。現在は田畑となっているが、土塁の一部が残っており、方形状の平城でした。北西隅に木寺公民館と八幡神社があって、現在は、公民館の敷地の一部のようです。
土居の内(篠山市)の構えと似ています。土塁は、東と南しかありませんが、400年以上も過ぎているのに見事に残っていて、北西隅の八幡神社は、いつの創建かわかりませんが、守り神のようです。
城跡の写真をついに写しました。
野村城の地図は こちら
城たびを終えて感じたことは、
この辺りは、廃城となった山城が多く残っています。ほとんどが織田信長の丹波平定攻めで、明智光秀軍によって滅ぼされ、その後、江戸時代となり、山城はその役目を終え、廃城となりました。
天下を取った徳川家康は、篠山に新しく城を造り、豊臣、西国大名への備えを強化し、信長が攻め滅ぼし支配下に置いたこの地域の柏原に、織田家に小さな藩を持たせました。家康のしたたかな統治思考を見る思いがします。
城たびブロガー訪問記は、これで終わりです。
ながらくお付き合いくださり、ありがとうございました。
(._.)アリガト さんくす♪(o ̄∇ ̄)/ (/ ^^)/アリガトネ
このブログが公式HPに掲載されています。お暇なら下のバナーをクリックしてください。
最近のコメント