紫式部は、源氏物語を書いたのが石山寺で、中秋の名月(八月十五夜)が琵琶湖に美しく映るのを見て、物語の構想をたて、「須磨」「明石」の帖から書き始めたと言われています。
(源氏が都を追われて、当時としては、都から離れた場所である須磨に居を構えた。)
源氏物語の間(石山寺本堂横)
造りざまは、木が深く繁って、ひどく感心する所があって、結構な住まいである。
明石の入道は、源氏が須磨にいることを聞き娘の明石の君を源氏に嫁がせたいと思う。
3月、海岸に出た源氏に突然嵐が襲い、源氏は須磨を去ることを考える。
暁方、みなうち休みたり。君もいささか寝入りたまへれば、そのさまとも見えぬ人来て、「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」とて、たどりありくと見るに、おどろきて、「さは、海の中の龍王の、いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけり」と思すに、いとものむつかしう、
この住まひ堪へがたく思しなりぬ。
(源氏物語須磨の巻の一節)
源氏寺は、昔から有名だったようで、芭蕉や子規&明治天皇も訪ねておられます。
淡路(あはぢ)島 かよふ千鳥の 鳴く声に
いく夜寝覚めぬ 須磨の関守(せきもり)
芭蕉の句碑「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」
(1678(延宝6)年、松尾芭蕉35才の作)
子規句碑
「読みさして 月が出るなり 須磨の巻」
明治天皇行幸の碑
光源氏は、後見を任されている東宮の地位も危ういと考え、京を離れる寂しさや紫の上への思いを心にもったまま数人の友とともに須磨に行き、ひっそりと暮らす。
光源氏が住んでいた場所が源氏寺とされています。
源氏寺(現光寺)は、兵庫県神戸市須磨区にあります。【地図】
「おはすべき所は 行平の中納言の藻潮たれつつわびける家居近きわたりなりけり 海面はやや入りてあはれにすごけなお山なかなり」
(源氏物語の一節より)
源氏寺全景
現光寺が本名で、通称:源氏寺と言われています。
源氏寺の碑
源氏寺から南を見た風景で、100mくらいの間に山陽電車、国道2号線、JRが走った交通の要です。その先は海岸で阪神間一番の海水浴場です。
左の石垣が源氏寺です。
源氏寺の北側は、平安時代は山であったが、今は、住宅地です。600Mほど行くと須磨寺があります。
紫式部が須磨の地を想像して書いた「海が入り込み、すごい山の中」と言う雰囲気は今は全くありませんが、海はすぐ近くで、山の中と言う表現は、平安時代ではそうであっただろうと思われる土地柄です。
近くには、義経が平家軍を攻めた鵯越の坂落しの場所や一の谷の合戦場があります。
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