源氏物語には、紫式部が明石に来て、実際に見て書いたように思わせ、そのことを記した石碑が建てられています。
【浜の館:善楽寺威光院】
明石入道が住んでいた屋敷。
天然の景勝はいうまでもなく、こしらえた趣向、木立、立て石、前栽などの様子、何とも表現しがたい入江の水など、もし絵に描いたならば、修業の浅いような絵師ではとても描き尽くせまいと見える。数か月来の住まいよりは、この上なく明るく、好もしい感じがする。お部屋の飾りつけなど、立派にしてあって、生活していた様子などは、なるほど都の高貴な方々の住居と少しも異ならず、優美で眩しいさまは、むしろ勝っているように見える。・・・・・
高潮を恐れて、近頃は、娘などは岡辺の家に移して住ませていたので、この海辺の館に気楽にお過ごになる。・・・・・
(源氏物語の一節)
「明石の君の親入道の碑」善楽寺威光院内にあります。
年齢は六十歳くらいになっているが、とてもこざっぱりとしていかにも好ましく、勤行のために痩せぎみになって、人品が高いせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、故事をもよく知っていて、どことなく上品で、趣味のよいところもまじっている・・・・・
五代藩主松平忠国が建てたと言われている「浜の松」の碑
忠国の和歌
「いにしへの 名のみ残りて ありあけの
あかしの上の 親住みし跡」
松平忠国
慶安2年(1649)転封で播磨明石藩主松平(藤井)家初代として7万石を領した。
和歌を詠み、明石が源氏物語の舞台となっていることから、光源氏の碑を作り、自作の和歌を詠んでいます。
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