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2022.05.05

義経 打倒平家82 中尊寺1

今から900余年昔の平安時代、奥州藤原氏によって築かれた平泉、初代藤原清衡(きよひら)は、恒久平和を願って中尊寺を建立、二代基衡(もとひら)は、大伽藍や浄土庭園を配した毛越寺を造るなど仏都づくりに努め、三代秀衡(ひでひら)は、無量光院などが建つ仏教都市を出現させ、さらに柳の御所などを整備して行政都市の機能を高め、「北方の王者」として絶頂期を迎えました。そのころ、都では、源氏と平家が中央の権力を争い、平家を倒した義経をかばった四代泰衡(やすひら)は、源頼朝によって滅ぼされてしまい、栄華をほこった藤原氏も滅亡してしまいました。
(参考資料:パンフレット岩手宝国)

 

中尊寺は、駅から約2Kのところにあります。

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金色堂
1124(天治元)年の造立。ご本尊は阿弥陀如来、堂全体を金箔で覆い、極楽浄土を表しています。金色堂は覆われています。中央に初代清衡公、左に二代基衡公、右に三代秀衡公の御遺体と四代泰衡公の首級が納められています。
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旧覆堂
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本堂

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芭蕉句碑
夏草や 兵どもが 夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと

 

五月雨の 降のこしてや 光堂
(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)
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1689(元禄2)年5月(新暦6月)に、芭蕉(46)と曽良(41)は奥の細道の旅で平泉を訪れています。

 

平泉駅
4


中尊寺の地図は こちら

 

 

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義経 打倒平家」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

義経最後の地平泉、
華々しく活躍しそして散っていきました。
今の時代でも義経の人気は衰えませんね。
もう一度行ってみたいところです。

中尊寺懐かしいな~
参道の月見坂が何気に緩い坂ですが、長く続いていて
息が切れた覚えがあります。
周遊バスの時間を気にしながらの見学でしたので、
またいつの日かゆっくり見てまわりたいです。

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