義経 打倒平家70 屋島合戦2弓流し
屋島源平合戦2 弓流し
義経弓流しの跡と錣引き跡
9 義経弓流しの跡
与一が扇の的を撃ち落とした後、源氏と平家の合戦となりその最中、義経は勝ちに乗じて海中に入って戦う内に弓を海に落として平家の兵に熊手をかけられ海中に落ちかかったのを太刀で熊手を打ち払い左手の鞭で弓を手繰り寄せた場所。
義経が危険を冒して弓を拾ったのは「源氏の大将はこんな弱い弓を使っている」と笑われるのを恐れたためと言われています。
7 平家景清の錣引き(しころびき)
太刀を折られて逃げる源氏の十郎の兜を平家の景清(かげきよ)が熊手で引っ掛け、強い腕の力で兜の錣を引きちぎりました。しかし、十郎はやっと逃げることができました。
(錣(しころ)とは、兜の後ろや左右をおおうもの。)
平家物語 弓流し
那須与一が見事に扇を射落とした直後、平家方の50歳ほどの武者が船上に現れ、の立ててあった場所で舞い始めました。義経の命でこの武者が射殺されると、平家方はしばらく唖然としていましたが、やがて激怒し義経軍に攻撃をしかけ乱戦となりました。そのうちどうしたはずみか、義経は弓を海中に落とし、それを拾い上げようと必死です。
「危険なので弓をお捨てなされ、お捨てなされ。」
という郎党の声にも耳を貸さずようやくの思いで弓を拾いました。
義経は「弓が惜しくて拾ったのではない。叔父為朝(鎮西八郎)のような強い弓ならばわざとでも落として敵に見せるところだ。しかし
自分は小柄で非力だから張の弱い弓を使っている。それを拾われて、これが源氏の大将の弓かと笑われては末代までの恥である。それで命がけで拾ったのだ。」
と言ったので、郎党はみなこの言葉に感じ入ったということです。
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