宮本武蔵と明石
宮本武蔵と明石
宮本武蔵(宮本神社絵馬)

明石城
兵庫県明石市 (地図)
1617年7月〔元和3年(げんな)〕、小笠原忠真(ただざね)が信州松本から明石に国入りする。義父の姫路城主本多忠政と相談し人丸山に新城を築く。
その時、町づくりに本多忠政の長男忠刻(千姫の夫)の客臣宮本武蔵が姫路から明石に来て小笠原家の客分となり、明石の町割りをしました。(播州明石記録)
武蔵は、明石滞在中に、自分の剣に「円明流(えんみょう)」という流名をつけています。円明は、月の名所である明石の月からきています。
城から見たから見た明石の町
左(東側)は、巽櫓(たつみやぐら)、右(西側)坤櫓(ひつじ)お城の南側で、左に明石海峡大橋や中央に淡路島が見えます。
お城から見た明石の町と武家屋敷
城の南側に町民の住む町を作りました。今日の明石の商店街として栄えている鍛冶屋町、細工町、東本町、西本町、信濃町(今の中町)、東魚町、西魚町、東樽屋町、西樽屋町、材木町、明石町が誕生した。
『播州明石記録』によると明石の町割りは、宮本武蔵が行ったと伝えています。
織田家長屋門
(侍町:現大明石町2丁目 地図)
武家屋敷の遺構として唯一現存するもので、お城の正面右手に位置し、この辺りは藩の重臣の屋敷が多くあった。
武蔵が造った庭園
本松寺庭園 ≪地 図≫
円珠院内庭園 ≪地 図≫
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