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2022.04.10

義経 打倒平家72 壇ノ浦合戦1赤間神宮

壇ノ浦源平合戦
 
関門海峡の西:彦島に平家軍千余艘、東:満珠島に源氏の船団三千余艘が陣取る。1185年(治承四年)3月24日正午、海戦の火蓋が切られた。潮の流れの変化に乗じて源氏軍が平家船団にいっきに攻め入り、夕刻5時ころに勝敗は決し平家の赤い旗印が漂っているだけでした。
(地図)


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 さて、源平の陣の間隔は、海上で三十余町ほど隔たっていた。門司、赤間、壇ノ浦は沸き返って流れる潮なので、源氏の舟はは潮に向かって心ならずも押し返される。平家の船は潮に乗って出て行く。沖は潮が速いので、海岸に寄り添って、梶原は敵の船と行き違うところで熊手を投げかけ、親子、主従十四、五人乗り移り、刀を抜いて艫舳と散々に薙いで回る。分捕りも沢山して、その日の高名、筆頭に記録された。
 源平両方とも陣の声を揃え、鬨の声を挙げる。上は仏の梵天王まで聞こえ、下は龍宮の龍王も驚くだろうと思えた。・・・・・・・
(平家物語 壇ノ浦合戦)

 

源氏の総大将:義 経

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平家の総大将:知 盛
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知盛が体に巻きつけ入水した碇と同じような形をしています
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 壇ノ浦合戦の海峡と義経と知盛像
(みもすそ川公園 地図
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 関門海峡 源平の史跡
   1 満珠・千珠島・・・源平が集結した場所。
 2 豊功神社・・・満珠・千珠島を見るビューポイント
 3 平家塚・・・平家落人の墓と伝えられており、古い五輪塔6基のほか墓石があります。
 4 平家の一杯水・・・合戦で喉の渇いた平家の武将が水を飲んだ場所
 5 みもすそ川公園・・・公園の前の海峡で壇ノ浦決戦が行われた。そのときの
   両軍の総大将の像があります。源氏軍・義経  平家軍・平知盛
 6 赤間神宮・・・安徳天皇が祀られており、竜宮城をイメージして造られています。
   耳なし芳一像や平家一門の墓・7盛塚があります。
   安徳天皇陵と紅石稲荷神社が近くにあります。
 7 海響館・・・平家蟹が展示されています。
  大歳神社・・・義経が戦勝祈願をしたところ。
  厳島神社・・・安芸の厳島神社の分霊を平家の守護神として祀った。
10 御旅所・・・安徳天皇が引き上げられた時、一時安置された場所。
11 きぬかけ岩・・・敗れた平家の武将の妻が岩に衣をかけ身投げしたところ。
12 西楽寺・・・平家ゆかりの寺、本尊・阿弥陀如来像は重盛の守り本尊。
13 清盛塚・・・壇ノ浦合戦時、平家が砦を造っていた場所とされています。
14 和布刈神社・・・壇ノ浦合戦前夜に平家の武将が戦勝祈願をした。
15 壇ノ浦合戦壁画・和布刈公園内に長さ44mの合戦を描いた有田焼の壁画があります。
16 門司城址・・平知盛が壇ノ浦の見える古城山に築造した城。
17 甲宗八幡神社・・境内に平知盛の墓があります
18 海御前の碑・水天宮には平教経の奥方(海御前・あまごぜ)の碑があります。
19 殿墓・・平家の敗戦を知った平休息が、山中に逃れ一族の墓を集めた所。
20 三坐像・安徳帝と思われる幼帝、二位の尼、知盛の像が安置されている(非公開)
21 平山観音院・院の起こりは、平家の残党が一族を弔うために建立した。
22 海峡ドラマシップ・人形アートでたどる歴史絵巻では、壇ノ浦合戦場面、
   源氏・平氏の群像、安徳天皇と二位の尼、海に沈む建礼門院などを再現しています。
23 柳の御所(御所神社)・落ち延びた平家は門司区大里に御所を定めた。
   都を偲んだ平時忠、経正と忠度の歌碑三基があります。
24 風呂の井戸・安徳帝一行の疲れを癒すためここの泉の水を風呂の用水にした。




 赤間神宮  (地図) 
壇ノ浦の合戦で敗れ、8歳で関門海峡に入水された安徳天皇を祀っています。「海の中にも都はある」と言った清盛の妻:二位の尼の願いを反映して竜宮城をイメージして造られています。
境内には、平家の墓、小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の堂、隣に安徳天皇陵と紅石八幡神社があります。

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二位の尼と安徳天皇のオブジェ
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紅石稲荷神社(赤間神宮のすぐ上にあります)
平家一門が安徳天皇を奉じて西還した時に都の鎮護:京都伏見稲荷大明神を勧請して乗船し、長門国の壇ノ浦に到達するや、紅石山に鎮祭されたのがこの稲荷です。

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八咫鏡(やたのかがみ)
八咫鏡とは天照大神が天の岩戸にこもったとき、奉ったという鏡。
義経が探していた三種の神器とは、八咫鏡、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。
安徳天皇とともに沈んだとされた八咫鏡が岡山県で発見され赤間神宮に奉鎮された。赤間神宮には、第十代祟神天皇から、壇ノ浦で崩御された第八十代安徳天皇までの八咫鏡が納められているということです。
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平家一門の墓
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安徳天皇の墓
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みみなし芳一

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