義経 平家打倒55 北城戸の戦い1
東の生田の森、西の一の谷の中間にある平家の砦の攻防を『北城戸の戦い』と言ってこの戦いで戦死した源平勇士の史跡が兵庫県神戸市長田区に多く残っています。
1 平知章(ともあきら)
2 平盛俊の碑
3 監物太郎
4 源平勇士の墓
5 宝満寺
6 駒林神社
7 腕塚堂
8 胴塚
9 満福寺
10 平盛俊の墓
11 勝福寺
12 那須与一の墓
13 北向八幡神社
14 妙法寺
15 車大歳神社
1平知章(ともあきら) 明泉寺 《地図》
生田の森の大将軍新中納言知盛は部下の者総てを落ち失せ、息子武蔵の守知章、監物太郎頼賢と 主従三騎汀の方へ落ち行けり・・・源氏側の大将と思はるる一騎の武者は知盛に組付かんと 駆寄れば、息知章は父を討たすまじと中へたてむずと組付き取って押へ首を取り立上がらんとする 処を敵兵ち重なりて遂に知章の首を揚げた。・・・其の間に紛れ新中納言知盛は井上黒の愛馬 にて海上二十丁計り泳ぎ舟に乗り移り助かり給へり。
2 平盛俊(もりとし) 《地図》
北門の大将越中前司平盛俊は、明泉寺から南へ逃げ延びる途中で、源氏の猪俣小平六則網と一騎打ちとなり、双方むんずと組付いて 戦い盛俊が優勢となり則網が降参したため あぜ道で休んでいるところへ源氏の人見四郎が近づいてきた。近づく敵に気を奪われている最中に、盛俊は、則網に襲われ首を討たれてしまいました。
3 監物太郎(けんもつ) 《地図》
源平一の谷合戦で、東城戸を守っていた平知盛は、子知章と家来の監物太郎頼方(よりかた)とこの付近まできたとき、源氏軍に追い詰められ、この時監物太郎は知盛を助けようと知章とともに奮戦し、無事知盛を逃します。しかし、戦闘の中で、知章もまた敵に討たれてしまいます。最後に残った監物太郎は知章の仇と相討ち、命を散らしました。
この太郎の忠義心が地元住民の心に忠臣として大事に祀られるようになったのがこの場所です。
監物太郎はその中の一兵の首を取った。彼は矢種のある程を射尽くし太刀を抜いて戦ったが左の膝口を敵に射られ立上がらず討ち死にせり。 (新訳平家物語抜粋)』
4 源平勇士の墓 《地図》
上写真:中央は平知章の碑
下写真:右から平通盛(みちもり) この付近で源氏の木村源吾重章(中央)と相討ちで亡くなくなった。左は源氏方の猪俣小平六則の碑でこの付近で戦死した。彼らを供養する碑が源平仲良く祀られています。これらの碑はもっと南にありましたが道路拡張工事によって現在の地に移築されました。知章の碑はその時に建てられたものです。
10 平盛俊の墓 《地図》
北城戸の大将平盛俊は、明泉寺から南へ逃げる途中で、源氏の猪俣小平六則綱と一騎打ちとなり、盛俊が優勢となり則綱が降参したためあぜ道で休んでいるところへ、源氏の人見四郎が近づいてきたのに気を奪われていた盛俊に則綱が襲い、盛俊は首を討たれた
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