義経 打倒平家63 三草山
三草山の戦い
義経が「鵯越」の奇策で平家の西の砦「一の谷」を急襲し栄華を誇った平家がその後、滅びていく歴史的にも大きな転換点となった戦です。
(軍の人数や鵯越の坂落しの場所等には、諸説あります)
【三草勢揃 三草合戦】(平家物語九 杉本圭三郎訳注)
源氏は、1184(寿永3)年2月4日に 攻めるはずであったが、故人入道相国の命日にあたると聞いて、仏事を行わせるために攻めなかった。
大手の大将軍は、源範頼(のりより)、これに従うもの総勢5万余騎が2月4日午前8時半頃都を出発してその日の午後4時~6時ごろに摂津国昆陽野(こやの 伊丹市)に陣をしいた。
搦手の大将軍は九郎義経、武蔵坊弁慶をはじめとして、総勢一万余騎、同じ時に都を出発して丹波路にすすみ、二日かかる道のりを一日で越え、播磨と丹波の境にある三草山の東の山口、小野原(兵庫県加東市)に到着した。
平家は平資盛(すけもり)を総大将として三草山(兵庫県加東郡)に約3000の兵で陣取る。義経軍は、総勢1万で民家に火を放ち、平家の陣に夜襲をかけた。平家軍は不意をつかれ敗走する。総大将:資盛は播磨国:高砂から屋島に逃れ、師盛(もろもり)は一の谷の平家の陣に逃れた。
(兵の数は平家物語に記載の数字です。)
三草山 ≪地 図≫
三隼合戦の事(二)平家軍になだれ込む源氏軍
まさか夜討ちをかけられるとは夢にも知らない平家の陣所では、「明日の戦に備えて、今夜はぐっすり眠れ」と言う命令に、軍兵どもは、眠りこけていた。すると夜半のころに、時ならぬ地響きとともに、「どっと」闇の声が上がった。源氏軍の奇襲である。慌てふためく平家の軍陣。弓を矢を、矢を弓と右往左往する社左往する平家の軍兵たちの中に、馬上の源氏が疾駆する。軍兵たちは馬の蹄にけられてはたいへんと、左右に逃げ散った。源氏勢は、風のようになだれ込んでいった。
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