義経 打倒平家68 佐藤継信と大夫黒の墓
佐藤継信と大夫黒の墓
12 佐藤継信の墓
義経の身代わりとなって死んだ佐藤継信(つぐのぶ)の墓 享年28歳
(継信は、墓には次信ときざまれています。)
佐藤継信は、義経が挙兵したとき弟:忠信と一緒に参戦した。陸奥の国(福島県)出身
12 大夫黒の墓
継信の忠死を讃え、義経が鵯越の坂落としで乗っていた馬を志度寺に与え、死後、継信の側に埋葬された。
2 佐藤継信の碑
継信が義経の身代わりとなって忠死したことは武士道の鏡であるとして、初代高松藩主松平頼重が建立しました。
11 射落畠(いおちばた)
継信が源氏総大将義経の身代わりとなって、能登守平教経(のりつね)に、射落された所。
平教経(のりつね)は、平家随一の猛将であり、源義経の好敵手的存在。
8 洲崎寺(すさきじ)
佐藤継信の死体をこの寺の本堂の戸板に乗せて運んだと言われています。
庭に合戦当時の屋島を造っています。
『平家物語』巻第十一「嗣信最後」
屋島の戦いにおいて、強弓精兵平教経が源氏の大将である義経を一矢で射落とそうとねらったが、源氏方も一騎当千の兵たちがそれを防ごうと矢面に馳せた。真っ先に進んだ継信は弓手の肩から馬手の脇へと射抜かれて落馬した。義経は、急いで馬から飛び下り手を取って、
「この世に思い置くことはないか」と尋ねた。
継信は「源平の合戦に奥州の佐藤三郎兵衛継信という者が讃岐の国屋島の磯で、主に代わって討たれたなどと、末代までの物語に語られることこそ、今生の面目、冥途の思い出です」と答えて亡くなった。
義経は鎧の袖を顔に押し当てさめざめと泣き、近くにいた僧に大夫黒という鵯越を行なった名馬を賜わり、継信を供養させた。
継信の弟の忠信をはじめ、これを見た侍たちは皆涙を流し、「この主君のためなら、命を失うことは露塵ほども惜しくはない」と述べた。
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