義経 打倒平家67 屋島合戦総門
屋島の戦い
一の谷の戦いに敗れた平家は屋島に逃れ安徳天皇と三種の神器を奉り源氏との一戦に備える。
1185年2月19日午前8時、そこへ義経軍が襲い掛かり平家を打ち破った戦いで敗れた平家は西に落ち延びていく。
(当地では、屋島の戦いを壇ノ浦の戦いと言っています。)
屋 島
南嶺と北嶺の二つの嶺からなり、瀬戸内海に突き出した屋根型の陸繋島で標高292.1mの松の緑の美しい溶岩台地で瀬戸内海国立公園の一部です。
このような地形ですので、天然の要害となり、667年に屋島城が築かれ、源平合戦では平家の砦が置かれ壇ノ浦一帯は戦いの場となりました。
談古零(だんこれい)より
屋島寺近く(源平古戦場が一望できる場所)
総門
安徳天皇が六万寺を行在所としていた頃、海辺の備えとして門を構えていた場所。宮を移してからは、南の防禦に使っていた。当時は、この辺りは海でした。
現在の門は、初代高松藩主・松平頼重公が合戦の跡を後世に残すため建立した。
香川県高松市牟礼町牟礼(地図)
干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲を決意。少人数の軍団であることを悟られないために、義経は周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけた。
義経、大阪から四国勝浦に上陸する。
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