義経 打倒平家65 一の谷
一の谷合戦
戦の浜
2月7日早朝、一の谷背後の鉄枴山(てっかいやま)に着き、東南壁から眼下をみると平家の本陣が見えた。絶壁を前にして歴戦の荒武者もたじろいだが、義経は「鹿も四っ足、馬も四っ足、鹿の通る道は馬も通るぞ」とまず、2頭の馬を落としてみせた。有名な 『鵯越の坂落し』の奇襲攻撃が決行された。平家軍にすれば人間が空から舞い降りてきた様に思われ雪崩をうったように海上に逃走した。そして、多くの戦死者をだした一の谷の合戦はその日の正午ごろに終わった。
≪ 地 図 ≫
山陽電車須磨浦公園駅の東側に一の谷があります。義経は、背後にある山から70騎の兵と共に一直線に平家の西の砦に攻め入ったと考えられています。一の谷町の名前が残っており、国道と住宅街になっています。
●文献で書かれている「一の谷」の場所はどこ???
・広くとらえ東の砦(生田の森)~西の砦(鉄拐山)までとする
・狭くとらえ鉄拐山の下にある現地名・一の谷とする
〔一の谷を広義にとらえる理由は〕
平家物語の記述にある「一の谷」は広義のものと考えられる(以下は平家物語から抜粋)
・九郎御曹司が搦手に回って、七日の明けがたに一の谷の後方、鵯越に上がり、今にも馬で駆け下ろうとなさると・・・・・
・鞍を置いた馬3匹が、越中前司の屋形の上方に下り着いて、身ぶるいして立った。・・・・・・・・・・・・
(越中前司盛俊は、山の方面を守備する軍の総大将であった)
義経が奇襲をかけた有名な「鵯越への坂落し」の場所は、2ヶ所の説があります。鵯越と言う地名がありそこだと言う説と兵庫県神戸市須磨区に一の谷と言う地名があり平家が西の砦とした須磨の海岸にせまった切り立った鉄拐山(てつかいやま)だと言う説があります。
屋島に逃げる平家軍
« 義経 打倒平家64 鵯越の坂落し | トップページ | さくら4 »
「義経 打倒平家」カテゴリの記事
- 義経 打倒平家86 義経その後(2022.05.13)
- 義経 打倒平家81 義経妻子墓(2022.05.03)
- 義経 打倒平家84 弁慶堂(2022.05.09)
- 義経 打倒平家80 毛越寺(2022.05.01)
- 義経 打倒平家83 中尊寺2(2022.05.07)
コメント