義経 打倒平家56 西城戸の戦い
1184(寿永3)年、平家のたてこもる西の門からわずか離れたこの塩屋の地は、激しい戦いがあり、多くの兵士が死亡しました。この地の人たちは、戦死者の霊を弔うために、ひっそりと葬り、供養塔を建てました。
兵庫県神戸市垂水区塩屋町梅木谷(地図は下にあります)
この場所は、ひっそりと葬ったとあるように、大変わかりずらいところです。
下の案内板は、山王神社にあるものでそこから行きますとすこしは、分かるかと思います。木と草の生えた茂みの中にありました。
上の地図には、亀光神社とありますが、建物はなく、下の亀光大明神の石碑があるだけです。
●の場所に下右の標識があります。この茂みの突き当りに左写真の亀光大明神の石碑がり、そこを下に降りてゆきます。
※亀光大明神(きっこうだいみょうじん)には、昔、塩屋の浜に大きな海亀が現れ、その亀を山に上げて祀ったという伝説が残っています。
地図は こちををご覧ください。
「義経 打倒平家」カテゴリの記事
- 義経 打倒平家86 義経その後(2022.05.13)
- 義経 打倒平家81 義経妻子墓(2022.05.03)
- 義経 打倒平家84 弁慶堂(2022.05.09)
- 義経 打倒平家80 毛越寺(2022.05.01)
- 義経 打倒平家83 中尊寺2(2022.05.07)
コメント