義経 打倒平家66 屋島合戦渡辺津
渡辺津(大阪)
ここ渡辺の津(大阪)から、義経軍150騎が、暴風の中、屋島の平家軍を攻めるため船を出したと言われている。現在、「八軒家船着場の跡」の碑が建っている。この付近は古来より、交通の要所であった。
大阪市中央区天満橋京町(京阪電車「天満橋」)
1185年2月(元暦2年) 、義経は摂津国渡邊津に兵を集めた。1185年2月18日午前6時に義経の船団は暴風雨をつき通常3日の航路を4時間ほどで阿波国勝浦に到着した。その後、徹夜で讃岐国へ進撃して翌2月19日に屋島の対岸に至った。そして、周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけ、一気に屋島の内裏へと攻め込んだ。
(Wikipedia)
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