源頼朝の史跡18 平将門首塚
将門は、父:平良将、母:県犬養春枝女(あがたのいぬかいのはるえのむすめ)の子であるが、生まれた年月日は不詳。平安時代中期の豪族で、父は下総国佐倉(現千葉県佐倉市)が領地と伝えられ、同市には将門町という地名も残っています。
将門は、下総で兵を起こし、坂東八ヶ国を平定し、自らを平新皇と称して政治の改革をはかったが即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された。享年38歳。これを「天慶の乱」といいます。原因は、確定していませんが、一族の争い、或いは、政治への不満からの戦いなどが言われています。
身分の低かった武士が力を見せた最初の戦いで、武士の台頭のはじまり、平清盛の時代へとつながっていきます。
(参考資料:敷地内の案内板、ウィキペディア)
平将門首塚
東京駅前の丸の内ビル群の中にあります。
江戸時代の寛文年間(1661年から1672年)、この場所は、酒井家上屋敷の中庭であり、歌舞伎の「先代萩」で知られる伊達安芸・原田甲斐の殺害されたところです。(説明板より)
酒井雅楽頭は、幕府大老。
伊達安芸は、仙台藩伊達 宗重(だて むねしげ)の通称である。
原田甲斐は、伊達藩の家老。
カエルの置物が多数あります。
・海外に赴任した官庁職員達が、「無事にカエル」、にあやかり赴任前にお参りにくる。
・左遷された会社員が、元の会社に無事に戻ってこられるように、蛙を供える。
・誘拐されたり、行方不明になった子供が無事帰ってこられるように、蛙を供える。
このような謂れがあります。
平将門首塚:東京都千代田区大手町1丁目2番1号(地図)
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