源頼朝史蹟7 蛭が島
蛭ヶ島(ひるがじま)は、静岡県伊豆の国市にある源頼朝の流刑地と伝わる史跡です。
平治の乱で敗れた源頼朝は1160年(永暦元年)に伊豆に配流され、のちに挙兵するまでの20年近くをこの地で過ごし、その間に北条政子と結婚しています。しかし、「蛭ヶ島」という言葉は「吾妻鑑」に頼朝の流刑地は「蛭が島」と記されていますが、この場所である証拠はありません。
蛭が島
1177(治承元)年結婚 頼朝(31歳) 政子(21歳)
蛭が島
頼朝は、1192(建久3)年に征夷大将軍に就任、そして、鎌倉幕府が始まりました。
源氏の家系図
蛭が島は公園として整備されています
近くを伊豆急鉄道が走っています
蛭が島は、韮山駅から10分くらいのところにあります。
蛭が島(地図)
静岡県伊豆の国市四日町17-1
(伊豆の国観光パンフレット)
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