源頼朝史蹟12 源頼朝公
源頼朝公 (1147~1199)
源頼朝公は、1147(久安3)年、源義朝の第3子として京都で生まれました。母は熱田神宮の大宮司藤原季範の娘といわれています。
13歳で初陣した1150年の平治の乱で敗れ、伊豆国蛭ヶ小島へ流罪となり、20年の歳月を伊豆で過ごします。
1180(治承4)年8月、平家打倒に立ち上がり、そして、1180(治承4年)年10月、父・祖以来源氏ゆかりの地である鎌倉へ入りました。 そして、鶴岡八幡宮を祀って源氏の氏神とし、同時に鎌倉の中心にすえて鎌倉の街造りを進めました。
1185(文治元)年の春、壇ノ浦で平氏を滅ぼし、“鎌倉殿”として武家政権の基盤を築くことになります。
1192(建久3)年、征夷大将軍に任ぜられ、1199(正治元)年正月13日、病でこの世を去りました。享年53歳。
(参考資料:鶴岡八幡宮HP)
(源氏山公園銅像)
鶴岡八幡宮内
舞 殿
静御前が、義経を慕う歌を舞ったところ。
吉野山峰の白雪踏みわけて 入りにし人のあとぞ恋しき
静や静しずのおだ巻きくり返し 昔を今になすよしもがな
頼朝は、その舞に怒りましたが、妻:政子が「私が静御前であっても同じように舞ったでしょう」と言って頼朝の怒りを静めました。『吾妻鏡』には、「まことにこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし。上下みな興感を催す。」と書かれています。
実際に静御前が舞ったのは若宮廻廊で、舞殿はその若宮廻廊の跡地に建てられています。
若宮 武内社
御祭神は武内宿禰命。神功皇后の功臣、長命な神様として知られている。
大銀杏
樹齢1000年といわれ、高さは推定30メートル、幹の太さは約7メートルあります。
2010(平成22年3月10日)、強風によって倒れました。現在は植え替えられています。
鶴亀石
白旗神社 由比若宮遥拝所(ようはいじょ)
白旗神社 源頼朝公、実朝公がお祀りされており
由比若宮遥拝所 八幡宮の元宮である由比若宮(材木座に鎮座)を、ここからお参りするところです。
鶴岡八幡宮の文学案内板
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