« 源頼朝の史跡11 鶴岡八幡宮 | トップページ | 明石海峡大橋 »

2022.02.17

源頼朝史蹟12 源頼朝公

源頼朝公 (1147~1199)

 源頼朝公は、1147(久安3)年、源義朝の第3子として京都で生まれました。母は熱田神宮の大宮司藤原季範の娘といわれています。
13歳で初陣した1150年の平治の乱で敗れ、伊豆国蛭ヶ小島へ流罪となり、20年の歳月を伊豆で過ごします。
1180(治承4)年8月、平家打倒に立ち上がり、そして、1180(治承4年)年10月、父・祖以来源氏ゆかりの地である鎌倉へ入りました。 そして、鶴岡八幡宮を祀って源氏の氏神とし、同時に鎌倉の中心にすえて鎌倉の街造りを進めました。
1185(文治元)年の春、壇ノ浦で平氏を滅ぼし、“鎌倉殿”として武家政権の基盤を築くことになります。
1192(建久3)年、征夷大将軍に任ぜられ、1199(正治元)年正月13日、病でこの世を去りました。享年53歳。
(参考資料:鶴岡八幡宮HP)

 

(源氏山公園銅像)

 

鶴岡八幡宮内

舞 殿 

静御前が、義経を慕う歌を舞ったところ。

吉野山峰の白雪踏みわけて   入りにし人のあとぞ恋しき
静や静しずのおだ巻きくり返し  昔を今になすよしもがな


頼朝は、その舞に怒りましたが、妻:政子が「私が静御前であっても同じように舞ったでしょう」と言って頼朝の怒りを静めました。『吾妻鏡』には、「まことにこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし。上下みな興感を催す。」と書かれています。

実際に静御前が舞ったのは若宮廻廊で、舞殿はその若宮廻廊の跡地に建てられています。  

 

 

若宮 武内社

御祭神は武内宿禰命。神功皇后の功臣、長命な神様として知られている。

 

 

 

大銀杏

樹齢1000年といわれ、高さは推定30メートル、幹の太さは約7メートルあります。

2010(平成22年3月10日)、強風によって倒れました。現在は植え替えられています。

 

鶴亀石

  

 

白旗神社  由比若宮遥拝所(ようはいじょ)

白旗神社   源頼朝公、実朝公がお祀りされており

由比若宮遥拝所  八幡宮の元宮である由比若宮(材木座に鎮座)を、ここからお参りするところです。

  

 

 

鶴岡八幡宮の文学案内板

 

« 源頼朝の史跡11 鶴岡八幡宮 | トップページ | 明石海峡大橋 »

義経 打倒平家」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 源頼朝の史跡11 鶴岡八幡宮 | トップページ | 明石海峡大橋 »

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

紹介ブログ