義経 打倒平家51 遷都鎮守社
福原遷都コース
ここ「平野」の地は、まさにその名の示すとおり『平』家の本拠があった『野』と言える。
福原と言う地名は無く、現在の平野・石井・夢野・荒田一体の総称であり、800年前には、福原とよんで居たのかもわからない。
清盛は、福原を理想の地とするため、天満神社、八幡神社、熊野神社、厳島神社などをこの地に勧請するとともに、比叡山を模して丹生山に日吉山王権現を祀り、福原の守りとしたり、多聞寺や妙法寺を鞍馬山になぞらえて福原鎮護の霊場としたりしている。
福原は、清盛が心血を注いで築こうとした理想都市だったのである。
(野村貴郎著 「源義経 鵯越の坂落し」 神鉄観光事業部すずらん編集室)
黄字:福原遷都コース《 地図 》
(赤字:大輪田泊りコース)
2 厳島神社
3 願成寺
4 熊野神社
5 雪見御所
6 湊山温泉
7 祇園神社
8 鈴麦
9 荒田神社
10 宝地院
12 平業盛塚碑
11 氷室神社
13 夢野八幡神社
2 厳島神社 《地図》
1180年(治承四年)、福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として深く信仰して いる安芸国厳島神社をこの地に勧請しました。福原京の周りに七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれています。
※ 勧請(かんじょう):神仏の分霊をむかえること
熊野神社 《地図》
平清盛が福原遷都の際、周辺に多くの寺や神社を祀って、新都の鎮護を祈っていますが、特に厳島神社と熊野神社は崇拝していたといわれています。
当神社の本殿は、紀州熊野権現と同じく巽(南東)の方向を向いており、「東向きの権現さん」と地元の人々から親しまれています。
14.妙法寺
(地図) 神戸市須磨区妙法寺毘沙門山1286
平清盛は福原遷都の際に、平安京の鞍馬になぞらえて、ここを新鞍馬といって王城鎮護の霊場とし、寺領として1千石余りを寄進したと言われています。
多聞寺
( 地図) 神戸市北区有野町唐櫃
平清盛が福原遷都のとき、京の鞍馬山に擬して新都の守護として伽藍を建てたと伝えられています。又、都北辺の防禦の拠点とした。
義経の別働隊が福原を背後から突こうとしたとき、多門寺のみ平家に味方したので、焼かれ寺領も没収された。
写真の寺入り口から百段ほどの階段を登った山の上にお寺があり、山城のようです。
福原遷都関係年表
1118年 平の清盛生誕
1159年(平治元年) 保元の乱で清盛(41歳)勝利
1118年(元永元年)平清盛生誕
1159年(平治元年)保元の乱で清盛(41歳)勝利。
1167年(仁安二年)平清盛(49歳)、太政大臣となり平家が最も栄えたとき
1168年(保安三年)清盛(50歳)太政大臣を辞し神戸の能福寺にて出家し、福原の地に別荘「雪の御所」を建て休養する
1180年(治承四年)清盛(62歳)の外孫安徳天皇が即位する安徳天皇・高倉上皇・後白河法皇をひきつれ
6月2日、神戸福原に都を移す(福原遷都)
11月26日都を京に戻す
1181年(養和元年)清盛(63歳)、あっちっち病という熱病に侵され死亡
1184年(寿永三年)平家、一の谷の戦いで破れ屋島に逃げる
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