義経 打倒平家47 太山寺
太山寺(たいさんじ)
兵庫県神戸市西区伊谷川町前開224 【地図】
平家武将の尊崇も厚く、平家一門書字の伝説をもつ法華経をはじめ武将の鎧や腹巻など平家ゆかりの品が多数伝わっている。
当寺は天台宗。973年(天延元年)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には、藤原鎌足公の子・定恵和尚の開山、716年(霊亀二年)公の孫・宇合(不比等の子)の建立と伝える。宇合が明石浦摩耶谷(まや)の温泉で療養中、七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像をを安置した。
1334年(建武中興)の時は、朝敵北条勢を討つため当寺衆徒のめざましい活躍があった。寺運は栄えこの地方の一大法城として南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・支社六ヶ社をもち僧兵も養っていた。
現在は、龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊。現存の本堂は、神戸市内唯一の国宝。
太山寺伽藍配置図
仁王門
重要文化財・室町中期
重曹の楼門であったが、上層部を撤去したときに大幅に改築、現在は入母屋造、本瓦、棟高8mの八脚門です。
仁王門から本殿入り口に通じる路、石垣に白壁。
本堂 (国宝 鎌倉時代)
創立は不詳。1285年(弘安八年)の火災で前身の建物が焼失し、1293~99年(永仁年間)に再建された。
規模は、柱真真間で正面20.82m、側面17.76mと大きい。
三重塔 (県指定文化財)
心柱宝珠柱の銘と棟札から1688年(貞享五年)の建立とされている。各層四隅の尾垂木の周りには邪鬼を置いている。初層内部の須弥檀には、等身大の大日如来座像及び四天王立像が安置されている。
阿弥陀如来座像 (重要文化財)
鎌倉初期のもので、約2.74m
橋を渡ると稲荷舎と地蔵堂がある。地蔵堂の下から巌窟を通って水が湧き出ていた。この霊水は仏前に供える清浄水(あか)です。橋の上流には花崗岩の岩肌に磨崖仏(不動明王像)が刻まれている。鎌倉時代の作らしい。
陽明学者熊沢藩山の閉居跡
元岡山藩士 寛文9年(1669年)51歳の時、幕命により播磨国明石藩主松平信之の預かりとなり、太山寺に幽閉される。
仁王門から入って本堂に通ずる路を歩いていくと権勢を誇った頃の雰囲気が残っています。今は訪れる人もほとんどありませんが、平家全盛の頃、武将たちが通った当時の繁栄ぶりが偲ばれます。
「播州太山寺伽藍之図」そのままの配置で残されています。
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