義経 打倒平家38 今井兼平の墓
(いまいかねひらのはか)
今井四郎兼平は木曾義仲とは乳兄弟でもあり、義仲四天王の一人です。
今井四郎兼平は、源平争乱の最中に木曽義仲に従って上洛して一時は都を押さえた義仲でしたが、1184(元暦元年)年に頼朝軍に追いつめられ、粟津合戦で義仲とともに討ち死にする。
兼平の最後は、義仲が討ち取られたと知った直後、「東国の方々、これが日本一の強者の自害する手本だ」と言って、太刀の先を口の中に含み、馬上から飛び降り、太刀に貫かれ自害した。(享年:32歳)
今井四郎兼平の墓は、1661(寛文元)年に、膳所藩主本多俊次によって建立された。現在、敷地内には江戸から平成にかけて兼平の子孫によって建立された燈籠や記念碑等が残されており、祖先顕彰の思いを偲ぶことができる。
所在地:滋賀県大津市晴嵐2-4-16 (地図)
今井兼平の墓
兼平が豪勇であったことや墓を建立した膳所藩主本多俊次の名前などが書かれています。
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しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
「義経」の場面で兼平のことをどんなに放映していたのか
思い出せません。
32歳の若さで亡くなったのは惜しいです。
生きて平家との戦いで活躍してほしかった。
コロナも少しは、終息気味です。
また。史蹟訪問の旅が心置きなくできますね。
投稿: 管理人 | 2021.09.24 12:19
兼平の最期は壮絶でしたね。
あれをドラマで再現するのはなかなか難しい演出だと思いますが
「義経」では、雰囲気が出ていました。
今度の大河はどうなることか。
投稿: しずか | 2021.09.24 12:03