義経 打倒平家39 竹生島
竹生島(ちくぶしま)は琵琶湖の北端近くに浮かぶ島で、周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、信仰の島です。
現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれていますが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていました。
平家物語7巻「竹生島詣」
平家が北陸の木曽義仲を倒すために北国へ下向しました。その途中で、平経正(つねまさ)が竹生島に行ったことが記されています。
ある朝、平経正が、琵琶湖のほとりに出て、遥か沖に見える島を見渡しました。経正は、供をしていた藤兵衛尉有教を呼び、「あれはなんという島だ」と問いました。有教の答えは「あれこそ、うわさに聞こえる竹生島です」。経正は、「そうか、そんなこともあるのか。それなら、いざ参ろう」と、有教、安衛門尉・守教以下の侍6人を連れ、小舟に乗り、竹生島へ行きました。
時候は、卯月(4月)の18日、新緑の梢はまだ春の名残をとどめ、深い谷のうぐいすの声はなくなろうとしていますが、初音がういういしいホトトギスが今を盛りに声を響かせ、藤の花が松の木にからみつき、たいへん趣のある様子でした。
経正は急ぎ船から降りて、岸に上がりました。竹生島の景色に触れ、心をつまらせ、声を失いました。
※1184年(寿永3年)のことです
経正は、平敦盛の兄、平清盛の甥にあたる。 琵琶の名手で、平経正の塚とされる琵琶塚( 兵庫県神戸市兵庫区)があります。
弁財天
厳島神社
長浜市早崎町1664-1
琵琶塚(兵庫県神戸市)
琵琶塚は楽器の琵琶の形をしており、琵琶の達人であった平経正の塚として伝えられてきています。
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