義経 打倒平家36 平家の老将
北陸の平家の老将
斉藤別当実盛 (さねもり)
1183(寿永2)年、京に上る木曽義仲に攻められ倶利伽羅峠で破れた平家軍は、篠原の地で態勢を立て直そうとしたが、平維盛(これもり)などは後退してしまった。
その中に兜の緒をしめた名を名乗らない武者が一人いた。
手塚太郎は、その武者を討ち取り、義仲に首を差し出すと、白髪を染めた実盛であった。実盛は、若者に老人とあなどられないために髪を染め、又、以前に2歳の義仲を助けたことがあってそれを隠すために名を名乗らなかった。
この兜にまつわる実盛と義仲の話は『平家物語』巻第七に「実盛」として語られています。
73歳の老兵は最後の戦いでその名を残した。
義仲が実盛の供養のために、多太神社に兜を奉納しました。
多太神社〔地図〕(たたじんじゃ)
むざんやな 甲のしたの きりぎりす
(芭蕉)
首実験をする木曽義仲と樋口次郎
首洗い池〔地図〕
実盛の首を洗った池
このあたりが義仲軍と実盛が戦った場所(合成写真)
鏡の池(実盛が出陣する際に髪を染める時に使った鏡を沈めたと言われている) 〔地図〕
実盛の亡骸を葬った実盛塚(合成写真) 〔地図〕
1.平陣屋 平家軍が陣を置いたと場所と言われている
2.尼御前岬 義経一行の中にいた尼が足手まといにならないようにと身を投げた岬
3.鏡の池 実盛が白髪を染めるために使った鏡を投げ入れた池
4.実盛塚 斉藤実盛の墓
5.首洗池・篠原古戦場 実盛の首を洗った池と古戦場
26.正覚寺 仏御前が去るとき清盛が与えた阿弥陀如来像が安置されている
27.菅生石神社 義経が奥州行きのときに参拝した
6.安宅関・住吉神社 勧進帳の義経・弁慶・富樫の像と関所跡があります。
7.多太神社 実盛の兜と芭蕉の句碑があります。
8.根上の松 根が地上に浮き上がった松があり、古戦場の跡でもあります。
9.弁慶謝罪の地 主人義経を打った弁慶が謝罪した道林寺跡
10.仏御前の里 清盛の愛人・仏御前の像・屋敷跡・墓があります。
11.泰産神社 仏御前が人々の安産を願って寄進した神社
12.木滑神社 仏御前が清盛の子を出産するときに寄りかかった石があります。
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