義経 打倒平家35 仏御前
仏御前
仏御前は、1160年(平治2年)加賀国原村(現:小松市原町)に生まれる。その後京都で白拍子として名を挙げ、当時の権力者であった平清盛を訪ねる。その当時は清盛の寵愛を集めていた白拍子の妓王の誘いで、清盛の前で即興で今様を詠み、それを歌って舞を見せ一気に寵愛を集めた。
(この物語は平家物語(第一巻 6「祗王」)に登場する。)
仏御前17歳の1177年(安元3年)に清盛の元を離れ出家し、嵯峨野にある往生院(祇王寺)に入寺する。
往生院には仏御前の登場により清盛から離れた妓王とその母・妹がおり、同じく仏門に励んだ。その後、1178年(治承2年)に故郷の加賀国原村に帰郷し、仏の道に名入り、1180年(治承4年)に没した。
墓所は小松市原町にある。
JR小松駅から白山に向かって南へ、車で20分ほど行くと仏御前の里(小松市原町)があります。(地図)
仏御前安置所
仏御前像は、村の家庭で守られてきて、昭和のはじめから現在の家に安置されています。
仏御前のお墓
清盛の愛人・仏御前は世をはかなみ仏門に入りました。写真は、仏御前の屋敷跡で、石祠と2基の墓石があります。
泰産神社
仏御前が1176年(安元二年)の秋、京都から故郷の原村(現在は町)に帰って静に暮らしていた頃、安産を願って本社を創立したと伝えられています。
ここからまだ南(白山の方角)に行くと吉野谷村に木滑神社(きなめり)があります。ここは、仏御前が京から故郷・原村に帰る途中、清盛の子を出産する時に寄りかかった石が残っており、安産のお守りとして信仰されています。
正覚寺
仏御前が、清盛の元を去るとき、「靴を履いた珍しい阿弥陀像」を与えたと言われています。その「履行阿弥陀如来像(くつばき)」」と仏御前像が安置されています。
1.平陣屋 平家軍が陣を置いたと場所と言われている
2.尼御前岬 義経一行の中にいた尼が足手まといにならないようにと身を投げた岬
3.鏡の池 実盛が白髪を染めるために使った鏡を投げ入れた池
4.実盛塚 斉藤実盛の墓
5.首洗池・篠原古戦場 実盛の首を洗った池と古戦場
26.正覚寺 仏御前が去るとき清盛が与えた阿弥陀如来像が安置されている
27.菅生石神社 義経が奥州行きのときに参拝した
6.安宅関・住吉神社 勧進帳の義経・弁慶・富樫の像と関所跡があります。
7.多太神社 実盛の兜と芭蕉の句碑があります。
8.根上の松 根が地上に浮き上がった松があり、古戦場の跡でもあります。
9.弁慶謝罪の地 主人義経を打った弁慶が謝罪した道林寺跡
10.仏御前の里 清盛の愛人・仏御前の像・屋敷跡・墓があります。
11.泰産神社 仏御前が人々の安産を願って寄進した神社
12.木滑神社 仏御前が清盛の子を出産するときに寄りかかった石があります。
« 昼食 | トップページ | 90歳 なにがめでたい »
「義経 打倒平家」カテゴリの記事
- 義経 打倒平家86 義経その後(2022.05.13)
- 義経 打倒平家81 義経妻子墓(2022.05.03)
- 義経 打倒平家84 弁慶堂(2022.05.09)
- 義経 打倒平家80 毛越寺(2022.05.01)
- 義経 打倒平家83 中尊寺2(2022.05.07)
« 昼食 | トップページ | 90歳 なにがめでたい »
コメント