義経 打倒平家24 大輪田の泊り1
大輪田泊りめぐり(おおわだ)
平氏の栄華を支えた最大の財政基盤は、日宋貿易による収益だった。
1153年(保元三年)、清盛は日宋貿易に本格的に乗り出し、まず重要拠点として門司を、ついで安芸国に音戸の瀬戸を開削し、大型船が瀬戸内海を航行できるようにし、一方大輪田泊りの修築を進める。
1167年(仁安二年)に太政大臣となった清盛は、宋船が大輪田泊りに直接入港できるようにし、自身も港近くの福原に別荘を構える。防波堤となる人口島の築島〔経島(きょうがしま)〕を私財を投じて工事を行っていたが、のちに国家事業として進めていく。
しかし、1181年(治承五年)閏二月四日、その完成を見ずに死亡。
下地図のの黄色の辺りが大輪田の泊のあった場所です。800年過ぎた今は、埋め立てられて経島は跡形も留めていません。
(野村貴郎著「源義経 鵯越の坂落し」 神鉄観光事業部すずらん編集室)
赤字:大輪田泊りコース《 地図 》
(黄字:福原遷都コース)
1 久遠寺
2 築島寺(来迎寺)
3 和田神社
4 薬仙寺
5 清盛橋
6 清盛塚・琵琶塚
7 真光寺
8 能福寺
9 金光寺
10 七宮神社
11 平経俊塚
12 三宮神社
14 阿弥陀寺
清盛くん
大輪田橋
石椋
和田神社
福海寺
清盛くん (地図)
清盛が日宋貿易の拠点とする為に、大輪田の泊(港)を修築しました。港湾施設の基礎になった巨大な石をイワクラと呼び1952年(S27)に見つかりました。
大輪田橋 (地図)
阿弥陀寺の西側に大輪田橋があります。この辺りが大輪田の泊り跡のようです。
5 清盛橋 《地図》
和田の笠松 (地図)
真光寺に隣接した須佐野公園にあります。
「和田の笠松」入り江の浜にそびえ入港船や旅人の目印になっていた。
和歌にも歌われ古くから有名な松のあったところ、戦災で焼失しました。
鎌倉時代の歌人藤原為家の歌に
「秋風の吹き来る峰の村雨に
さして宿かる和田の笠松」
2 築島寺(来迎寺) 《地図》
寺伝によれば、平清盛が経ケ島を築造する際、竣工直前に暴風雨によって破壊されたため、陰陽博士に占わせ人柱をたてることになり、身代わりとなったのが「松王丸」で、その犠牲によって無事に島が築造された。
その供養塔が写真の左の塔、右の塚は清盛の愛人「妓王と妓女」の五輪塔。
10 七宮神社 《地図》
清盛が経ケ島築造の工事を進めている時、暴風雨でなかなか進まないのを不振に思い調べたところ築造に必要な土砂を取っていた塩槌山に住む神が怒って暴風雨を起こすことがわかり、そこにあった神社を現在の七宮町に移築し祀ったところ、無事築造できたと言われています。
8 能福寺 《地図》
平清盛の墓
清盛の剃髪出家(ていはつ)や住職の円実法眼(えんじつほうがん)が亡くなった清盛の遺骨を持ち帰ったという言われています。境内には平清盛の菩提をとむらった「平相国廟(へいしょうこくびょう)」があります。
兵庫の大仏
兵庫の大仏の台座の中には重要文化財の「十一面観音像」があります。高さ地上より18m、重さ約60ton。
月照寺
他に、神戸事件で責任を取って自害した「備前藩士滝善三郎正信の供養塔」の史跡もあります。
« アリの巣 | トップページ | 義経 打倒平家25 大輪田の泊り2 »
「義経 打倒平家」カテゴリの記事
- 義経 打倒平家86 義経その後(2022.05.13)
- 義経 打倒平家81 義経妻子墓(2022.05.03)
- 義経 打倒平家84 弁慶堂(2022.05.09)
- 義経 打倒平家80 毛越寺(2022.05.01)
- 義経 打倒平家83 中尊寺2(2022.05.07)
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
清盛君のゆるキャラ、都を造ったくらいですから
神戸市が手をあげるべきでしたね。
調べてみたら広島の観光PRキャラになっていました。
神戸市のゆるキャラは、コーベアーです。
ほとんど知られていません。
投稿: 管理人 | 2021.08.08 11:57
この辺りの史跡も懐かしいです。
清盛くんもいましたね❗
そういえば、清盛のゆるキャラは、いないのでしょうか?
投稿: しずか | 2021.08.08 09:35