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2021.08.31

義経 打倒平家32 義仲寺

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義仲寺木曽義仲の墓(滋賀県大津市)
(ぎちゅうじ)

木曽義仲は、平家討伐のために兵をあげ、いったんは平定しましたが、後に、源頼朝に攻められ、粟津の地で敗れました。巴御前がこの地に草庵を造り、供養したと言われています。
(近江守護佐々木六角氏が室町時代末期に建立した説もあります)

敷地内には、義仲の愛人の巴と山吹の塚もあります。
「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女(美女。召し使いの女)を具せられたり。山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」


又、江戸時代になって、松尾芭蕉がこの地をしばしば訪れ、大阪で死亡した時に「この地に墓を建ててくれ」との遺言で芭蕉の墓があります。 芭蕉の句「旅に病みて夢は荒野をかけめぐる」など多くの俳人の句碑も建っています。

所在地:滋賀県大津市馬場1-5-12 (地図



義仲寺

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義仲公の墓
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朝日将軍木曽義仲公のご墓所があります。

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木曽八幡社
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芭蕉の墓と句 
1694年(元禄7)10月、芭蕉は大阪で亡くなりました。(享年51歳)そのときに「木曽塚に送るべし」と遺言して、墓が建てられたその後、芭蕉を慕う俳人が墓をつくったり句碑を建てたりした。
このあたりは、旧東海道に沿っており、古くは粟津ヶ原といい、琶湖に面した景勝の地であった。
(義仲寺パンフレットより)


芭蕉の墓

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芭蕉

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古池や 蛙飛び込む 水の音 

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旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

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行春を おうみの人と おしみける

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義経 打倒平家」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

義仲寺は、なかなかいいお寺ですね。
三度もいかれたのですか。

芭蕉は、なぜここに葬ってくれと言ったのでしょう。
義仲が好きだったのかこの場所が好きだったのか。

秋晴れかと思ったらまた秋の長雨です。

ここも懐かしいです。
今までに三度お参りしたと思います。
芭蕉の墓と隣り合わせなのが印象に残っています。

植田さん
訪問とコメントありがとうございました。

夏の長雨がやっと終わったと思ったら
まだまだ暑い夏が残っていますね。
コロナもまだまだ猛威を振るっていますから
安心して外出もままならず毎日、オリンピック、
パラリンピックを楽しんでいます。
PC教室の皆さんお元気ですか。
よろしくお伝えください。

先生残暑お見舞い申し上げます。暑い日が続いていますがお元気ですか?
暫く残暑続くと思いますのでご自愛くださいませ。

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