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2021.08.23

義経 打倒平家29 室津と清盛

 

室津兵庫県たつの市御津町室津

 

1180(治承4)年、平清盛と高倉上皇が厳島神社に参拝した時、室津に立ち寄りました。

平家物語巻第四に、「厳島御幸」として高倉上皇が参拝後の帰途、播磨の国山田の浦(兵庫県神戸市垂水区舞子あたり)から福原(兵庫県神戸市兵庫区)に寄られたと書かれています。

平家が源氏に勝った「室山合戦」(1183年)の戦場も、室津でした。


播磨風土記に「この泊り、風を防ぐこ室のごとし、ゆえに名となす」と室津の名の由来を記述しています。 昔の風情を残した港町です。

●摂津五泊に河尻(大阪)、大輪田(神戸市)、魚住(明石市)、韓泊(姫路市)、室津(たつの市)として制定される。

 

 

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平清盛

1180年の6月に福原に遷都、そして12月に都を再び京都に戻しました。清盛62歳の時のことです。1年後に清盛は、熱病により亡くなりました。享年63歳

 

日招き絵
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賀茂神社
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木曽義仲の愛人友君
室津で有名な遊女は、友君で、木曾義仲の愛妾である山吹御前だといわれています。義仲亡き後、室津に流れ着き遊女となっった。たぶん、弱々しく肌の真っ白な美人であったのでしょう。

※木曽義仲は1183年に、平家軍10万を倶利伽羅峠で破り、京に入り朝日将軍とよばれ京の治安にあたるも義経に滅ぼされる。



友君の墓が浄運寺にあります。

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Cc


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見性寺
室津の遊女:室君が建立した寺。
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寺宝の毘沙門天立像は、平安時代末期の作で国指定重要文化財。
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遊女行列
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室津賀茂神社地図

 

 

 

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義経 打倒平家」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

戦国時代、源平合戦は歴史好きが関心の大きい
テーマーですね。
以前に行ったところですが再登場でも面白いです。

なつかしく思い出しながら記事書いてます。

しばらく源平の史跡から遠ざかっていたので、忘れていることが多いです😣
ラメールさんの記事で、少しずつよみがえってきました。
来年の大河で、勉強し直しです。

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