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2021.08.20

義経 打倒平家28 鞆の浦

鞆の浦は、清盛が高倉上皇と厳島に参拝に行くときに風待ちのために寄港したところで、そこに、平家に関係のある史跡がありました。

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小松寺
平重盛(清盛の嫡男)が この地に松を植え、自作の護身用の阿弥陀佛を安置したのがこの寺の由来です。

 

医王寺から見た鞆の浦


 

常夜燈
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常夜灯の向こうに医王寺があります。

 

商家
江戸時代に繁栄した鞆の商家です。
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街並み
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太田家住宅
江戸初期、保命酒で財をなし、幕末には、尊皇攘夷の三条実美(さねとみ)らの七郷落ちのときここに立ち寄った。
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太田家前の道路は昔のままの雰囲気が残っています
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歌に詠まれた「むろの木」
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天平二年(730)、大宰帥(大宰府長官)として九州に赴任していた大伴旅人は、「京に帰る途中で鞆に立ち寄り、亡き妻とともに眺めた景色に再び接した歌」を万葉集に残しています。

 

他にも歴史上有名な出来事が起こっています。歩てみて面白い所です。

●織田信長に追放された足利義昭は、毛利氏や、現在の広島県福山市沼隈半島一帯を治めていた渡辺氏などの支援を受け 、1576年鞆幕府を設立しました。

●江戸初期、福島正則によって「鞆城」の築城が始まります。

●朝鮮通信使の宿泊地でした。

●1867年(慶応3年)、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突し、龍馬と紀州藩との談判が、鞆の浦でおこなわれました。

●宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』をはじめ、様々な映画、小説、テレビドラマの舞台となっています。


鞆の浦詳細地図 こちら

 

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義経 打倒平家」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

鞆の浦は、本当にみるところが多いです。
港全体が昔のままです。
船が交通の手段だった時代、どんなに栄えていたか。

今は、人影を見ることもほとんどありません。

一見の価値があります。

風光明媚な鞆の浦。
独り歩きでも安心してまわれる街ですね。
ラメールさん達の記事を見て、行こうと決めました。
あの頃が懐かしいです。

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