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2021.08.14

義経 打倒平家26 音戸の瀬戸

音戸の瀬戸(広島県呉市)

平安時代末期に権勢をふるった平清盛が日宋貿易の航路として1167(保安2)年に開削し工事中に、西に太陽が沈もうとした夕日を金の扇で招き返し、一日で切り開いたという伝説があります。

 

瀬戸内マリ―ビュー
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日招像 ( 地図
沈むとした夕陽を金の扇で招き返して工事を一日で終えたと言う伝説があります。
音頭の瀬戸開削800周年を記念して、1967(昭和42)年に建てられました。

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平清盛は、このように夕陽が沈んでいた時にその夕陽を招き返しました。

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清塚盛
清盛は、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めてこの工事を完成させました。その功績を称えて、1184(寿永3)年に建立されました。
上に通る橋は、音戸大橋  向うに見える橋は新音戸大橋
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二重の塔
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音戸渡船(おんどとせん)
1961(昭和36)年に音頭大橋ができましたが、江戸時代から続いた音頭渡船は、使いやすいために残され、現在も運行しています。

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幅120mと日本一短い定期航路



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音戸大橋
(右手に音戸渡船があります)
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新音戸大橋
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吉川英治文学碑
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吉川氏が「新平家物語」の史跡取材のため音戸の瀬戸を訪れた時、対岸の清盛塚に向かって、「君よ、今昔の感 如何(いかが)」と言われたのを記念して碑が建立された。
右の石にその言葉が刻まれています。


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清盛の雪見の御所跡(兵庫県神戸市兵庫区)近くに日招像があります
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音戸瀬戸への地図は こちらから

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義経 打倒平家」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

線状降水帯、天気予報の新しき言葉ですね。
いままで経験したことのない雨が降るらしい。
これも温暖化の影響なんでしょうか。
今日は、久しぶりに太陽みました。

兵庫県の日招き像の緑の色、なにか意図があるんでしょうか。
私は、目立つように緑にしたと思っています。

おはようございます。
いまだ雨が強く降り続いていますが
そちらは大丈夫でしょうか?
広島は、ひどいことになっていますね。

音戸も懐かしい❗️
日招像を求めてタクシーで向かった日。
しかし、二枚目の画像の鮮やかな緑の清盛像は、色を失敗しましたね😆

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