義経 打倒平家23 清盛七弁天
1180年(治承四年)、福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として深く信仰している安芸国厳島神社をこの地に勧請しました。福原京の周り七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれ花隈(はなくま)、佐比江(さぴえ)、西宮内(にしみやうち)、夢野(ゆめの)、真野(まの)、渦輪(うずわ)と兵庫となっています。
(兵庫厳島神社の説明板より)
7 和田神社(あんぜん弁天)【地図】
元は、現在地から西南に約800mの海岸にあり「蛭子(えびす)の森」と呼ばれていました。
平清盛が大輪田泊りの修築の際、事業の無事と将来の繁栄を祈願し安芸の宮島より市柿嶋姫大神を勧請しました。その後、南浜総氏神と広く人々に親しまれ、隣松院と呼ばれた社務所には、西国大名や勝海舟が訪れました。
6 真光寺(おんがく弁天)【地図】
時宗の開祖、一遍上人が亡くなったところに建立されたお寺です。境内の左手に一遍上人の廟所があり、五輪塔は県の重要文化財に指定されています。
※廟所(びょうしょ) 先祖の霊をまつる建物
5 済鱗寺(べんきょう弁天)【地図】
1493年(明応2年)、真誉林光上人の開祖。西連寺と号していました。海中より出現の阿弥陀仏像を本尊とし、魚類済度を合わせ行ったため、済鱗寺と改名した。先の大戦で本堂以下全てを焼失し、現在は仮の本堂に阿弥陀仏像をお祀りしています。
4 恵林寺(うんどう弁天)【地図】
1346年(貞和2年)錦江省文禅師により開山された臨済宗のお寺です。
境内には、平清盛が経ケ島築造の際に困難や水難克服を祈願して建てられた弁財社があり、「波除(なみよけ)の弁天」と呼ばれていました。
3 兵庫厳島神社(おしゃれ弁天) 【地図】
この付近は、昔「渦輪」と呼ばれた湊川の旧川筋にあたり、さらに地下水も湧き出して淵のようになっていたと言われていました。
清盛が兵庫津発展のためにこの神社を建立したと言われています。また、清盛ゆかりの「外弁天」と伝えられています。
2 氷室神社(れんあい弁天) 【地図】
源平合戦時、平通盛と愛妻・小宰相が別れを惜しんだ場所とされている。北城戸の陣があった。
日本書紀によると1600年ほど前に、額田大仲彦は、この地で狩をしていたとき、穴倉に「冬取った氷を草で包んでおくと夏も使えると聞き、天皇に献上したところ喜ばれた。日本最初の、冷蔵庫である。
1 花隈厳島神社(けんこう弁天) 【地図】
清盛が建立したときは宇治川の左岸にあったが、2度の移転で現在の場所に鎮座した。宇治川の近くの町名が弁天町なのは神社があった名残。
能福寺(清盛くん)
来迎寺(松王丸くん)
(七弁天神社の紹介文は、「神戸かもめ」の記事を参考にしています。)
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