義経 打倒平家32 義仲寺
義仲寺木曽義仲の墓(滋賀県大津市)
(ぎちゅうじ)
木曽義仲は、平家討伐のために兵をあげ、いったんは平定しましたが、後に、源頼朝に攻められ、粟津の地で敗れました。巴御前がこの地に草庵を造り、供養したと言われています。
(近江守護佐々木六角氏が室町時代末期に建立した説もあります)
敷地内には、義仲の愛人の巴と山吹の塚もあります。
「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女(美女。召し使いの女)を具せられたり。山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」
又、江戸時代になって、松尾芭蕉がこの地をしばしば訪れ、大阪で死亡した時に「この地に墓を建ててくれ」との遺言で芭蕉の墓があります。 芭蕉の句「旅に病みて夢は荒野をかけめぐる」など多くの俳人の句碑も建っています。
所在地:滋賀県大津市馬場1-5-12 (地図)
義仲寺
朝日将軍木曽義仲公のご墓所があります。
木曽八幡社
芭蕉の墓と句
1694年(元禄7)10月、芭蕉は大阪で亡くなりました。(享年51歳)そのときに「木曽塚に送るべし」と遺言して、墓が建てられたその後、芭蕉を慕う俳人が墓をつくったり句碑を建てたりした。
このあたりは、旧東海道に沿っており、古くは粟津ヶ原といい、琶湖に面した景勝の地であった。
(義仲寺パンフレットより)
芭蕉の墓
芭蕉
古池や 蛙飛び込む 水の音
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
行春を おうみの人と おしみける