義経 打倒平家15 東城戸の戦い1
東城戸の戦い1
1184年(寿永三年)2月7日、源範頼(のりより)率いる源氏の大手軍は、生田川の東堤に陣を張り、夜明けから攻撃を開始したものの、平知盛(とももり)を大将軍とする平家陣の防御は堅く、押し寄せることもできずにいた。
源氏軍は生田川の水量と逆茂木に苦しめられ、浜手の方から攻め入ったようである。源氏の軍勢の猛攻撃で、生田の森の下手から城の口辺りにかけてが激戦地となった。
( 「義経 鵯越の坂落し」より )
1 布引の滝
2 北野天満神社
3 生田神社
4 六甲八幡神社
5 小野八幡神社
6 三宮神社
7 熊野神社
8 篠原北厳嶋神社
9 花隈厳島神社
生田の森・生田川(東城戸)
《 生田の森地図 》
一の谷合戦の際、平家軍はこの生田の森を東の城戸として、生田川に茂木を並べて陣を張り、平知盛を大将として源氏の範頼軍を迎え撃った場所です。
3 生田神社(東城戸)
《 地 図 》
生田神社の裏に生田の森の面影が残っています。境内には梶原源太景季が咲き誇る梅を箙(えびら)にさして奮戦したという「箙の梅」、「梶原の井」また武蔵坊弁慶が義経の代理として参拝した折に奉納した竹などが史跡として残されています。
4 六甲八幡神社(八幡宮勧請)
《 地 図 》
平清盛が福原遷都のとき京都岩清水八幡宮を勧請し、地名も八幡に改めたとあります。
「太平記」摩耶城合戦(1333)の条に「八幡林」とあるのは当社の森のことです。
5 小野八幡神社(河原兄弟)
《 地 図 》
兵庫県神戸市中央区八幡通4-1-37
源平一の谷合戦の東城戸の戦いで先駆けして討ち死にした源氏の河原太郎高直と次郎盛直兄弟の功を賞して報恩寺を建て、寺の鎮守としてこの社を建立したと言われています。
兄弟の史跡は、三宮神社に「河原霊社」と追谷墓園内に「河原兄弟の墓」があります。
6 三宮神社(河原霊社)
《 地 図 》
東城戸の戦いで戦死した河原兄弟の功に報い、源頼朝が報恩寺を建立した。三宮の発展で行方不明となったが、地元の有志が三宮神社境内に「河原霊社」の小祠(ほこら)を建立したものです。
境内には「史跡神戸事件発生の地」の石碑と昔の大砲が置かれています。
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しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
来年の大河に源平合戦が登場しそうなので
再度の記事アップです。
前回の「義経」のときほどの源平合戦では
ないでしょうが。
このブログは義経展が最初のアップしています。
2005年6月29日
投稿: 管理人 | 2021.07.04 11:57
今日も懐かしいところが、紹介されていて、読んでいてワクワクしています。
来年は、大河で源平が描かれますが、
再度過去の記事をまとめ直すのも良いですよね。
投稿: しずか | 2021.07.04 09:13