義経 打倒平家20 明石源平
明石 源平史跡巡り
平忠度(ただのり)は、清盛の末弟で一の谷合戦・西門の大将軍で歌人としても有名です。『資料によれば「亦(また)播州明石、人麿堂の邉に忠度卿の塚あり。戦死の處、是にあり」と記されている』とあります。
明石源平合戦の碑
一の谷の合戦で破れた平家は西に逃れ明石にたどり着いたところで源氏の追っ手に捕まる。
山陽電鉄「人丸前」駅の高架下に建てられている
≪ 地 図 ≫
1184年(寿永三年)2月、一の谷の戦いで敗れた西の手の大将:平忠度(ただのり)が岡部六弥太(ろくやた)に追いつかれ川をはさんで戦ったので「両馬川」と名がついたと伝えられている。現在は、川はないが近くに池があったので川が流れていたと考えられる。
忠度塚
忠度の亡骸を埋めたところと伝えられている(清盛の弟、正四位下、薩摩守)。
忠度塚を100m西に行くと忠度公園があります。
この辺り一帯は以前忠度町と言われていました。
忠度公園
忠度を祀る「腕塚神社」
忠度が討たれたのがこのあたりと伝えられている。
「行きくれて 木の下かげを やどとせば
花やこよひの あるじならまし 忠度」
武勇にすぐれており、勅撰集に入選する歌人でもあった。
平経盛子供の経正(敦盛の兄)の馬を埋めた所と言われています。
お寺再興に尽力した平清盛の供養塔があります。
善楽寺
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しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
ここの史跡はみつけやすいです。
今は家がびっしり建っていますが源平合戦のころは
なにもない野原だったのでしょう。
平忠度、六与太の史跡が渋沢栄一の深谷に
あるとは偶然ですが面白です。
投稿: 管理人 | 2021.07.22 12:15
これだけ史跡が密集してあると、取れ高があって満足できますね!
今年は、渋沢栄一を追って深谷に行きましたが、平忠度と岡部六弥太ゆかりの史跡まで
行くことができて、一挙両得でした。
投稿: しずか | 2021.07.22 07:00