義経 打倒平家8 朝光寺他
三草山で勝利した義経は、佐保神社に兵を集結させ休息を取り 自軍を二手に分けて、7000騎(実際は700騎か)を土居実平(どいさねひら)に預け、須磨一の谷西木戸(兵庫県神戸市須磨区)に向かわせ、義経自身は、3000騎(実際は300騎か)の精鋭を率いて朝光寺から埼鹿寺(はしかでら)へ、そして、鵯越えに向かった。
(義経軍の人数は、諸説ありますが、平家物語の数字を使っています)
朝光寺 掎鹿寺(はしかじ)
兵庫県加東市畑609
掎鹿寺(加東市黒谷986)
源義経 鵯越の坂落とし 野村 貴郎著 神鉄観光事業部
神戸・三木・小野・篠山・加東 源平史蹟ハンドブック
« 6月の花 紫陽花 | トップページ | 義経 打倒平家9 清水寺 »
「義経 打倒平家」カテゴリの記事
- 義経 打倒平家86 義経その後(2022.05.13)
- 義経 打倒平家81 義経妻子墓(2022.05.03)
- 義経 打倒平家84 弁慶堂(2022.05.09)
- 義経 打倒平家80 毛越寺(2022.05.01)
- 義経 打倒平家83 中尊寺2(2022.05.07)
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。
義経史蹟の第一人者:しずかさんは名前の通り義経に
寄り添って日本中をあるいたのでしょう。
本を書かれたらどうでしょうか。
投稿: 管理人 | 2021.06.15 12:13
義経と名がつくところを長年追い続けてきましたが、行ける範囲のところはもうなさそうです。義経が通った道、腰掛けた岩などにワクワクしたものです。
投稿: しずか | 2021.06.15 05:58