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年をとっても楽しんできたゴルフをついに断捨離しました。
2年前に脳卒中を起こし、自動車運転とゴルフをあきらめました。
運転免許は、退院してすぐに返納しました。
ゴルフ道具は少し置いておこうと思い飾っていましたがもういいだろうとゴルフ仲間に譲ることにしました。
大河ドラマ「麒麟がくる」が織田信長、明智光秀の死で終わりました。
織田信長の死後、その子孫はどうなったか気になったので調べてみました。
1582年(天正10)7月、清州会議が開かれ、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興が集まり、織田信長の後継者は孫の三法師と決めました。
信長の子供たちはどうしていたか。(子供は24人?か。男12名?、女12名?)
長男:信忠 父:信長と同じ日に二条新御所で自決。
次男:信雄(のぶかつ) 後に僧侶になる。
三男:信孝 柴田勝家につき後に自刃する、
四男~十二男?は、秀吉についた者、反対側についた者などいろいろでしたが信長の跡を継いで織田家を盛り上げていこうとするほどの子供はいませんでした。
1598年(慶応3)、信長の9歳下の弟:信包が柏原(かしはら 兵庫県丹波市柏原町)3万6千石初代柏原藩主となり、次いで伸則、信勝と3代続くも絶えて終う。
その後は幕府直轄領になっていましたが、1695年(元禄)に大和から織田の流れをくむ「信休」が藩主となり、その家系が幕末まで続きました。
フィギュアスケートでバンクーバーオリンピックで7位に入賞し織田信成氏(のぶなり)が織田家の末裔と自称しておられます。
長屋門
織田神社
三代目藩主:織田信勝を祭神としている
建勲神社
織田信長を祀った神社