箱館戦争6 沖の口番所跡
新選組は函館市内の警備にあたりました。ここはその警備拠点の一つです。維新後は函館水上警察暑がおかれました。現在は函館市臨海研究所(水産・海洋関連事業の研究所)す。
地図5(函館市大町13-1)
江戸時代、松前藩は藩財政を支える施策の一つとして、福山(現松前)に船舶、積荷、旅人を検査して規定の税金を徴収する「沖之口番所」を創設した。その後江差と箱館にも設けられ、文政4(1821)年沖之口役所と改められた。
1854年4月にぺりー艦隊が箱館に来航しました。沖の口番所近辺の市場で土産を購入し、外人墓地にぺりー艦隊の水兵2名を埋葬しました。
6月10日19時30分~20時42分
NHK「鶴瓶に乾杯」でこのお寺が放映される予定です。
特別ゲスト:デヴィ夫人
https://www4.nhk.or.jp/kanpai/x/2019-06-10/21/19821/1847595/
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