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2019.06.01

箱館戦争 徳川幕府の終焉

    昨年の大河「西郷どん」を見ていて、徳川幕府の最後はあまり詳しく放映されなかったので、その場所を確認したくって、昨年11月に函館に行ってきました。

 

1868年正月に始まった戊辰戦争が徳川幕府軍と西郷隆盛率いる新政府軍の最後の戦いでした。鳥羽伏見の戦いは、数で上回る幕府軍が有利に戦っていましたが新政府軍が錦の御旗を掲げてからは有利な戦いをすすめ、1年半におよぶ戦いで徳川軍は北海道五稜郭で降伏しました。

 

当時の函館の様子
1854年幕府は、日米和親条約を結び、伊豆の下田と箱館を開港しました。箱館は国際都市となっていきます。(明治になって函館と改名しました)
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箱館戦争史跡
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函館総攻撃
1869年5月11日に新政府軍は総攻撃を開始しました。

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幕府軍は、10月26日に函館に進軍、五稜郭を占領しました

 
四陵閣
政府軍は五稜郭の真北にある四陵閣 を攻め落としました

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土方歳三
新選組の生き残りの土方歳三も力尽きて戦死しました
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赤十字精神

幕臣であった高松凌雲は、新政府軍のけが人も助けるため赤十字の精神を発揮しました
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箱館戦争の終結
5月18日 榎本武揚ら幕府軍は五稜郭を明け渡し降伏を申し出ました
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西郷隆盛も北海道に来ていましたが終戦の時は立ち会っていませんでした
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大鳥圭介 播磨国出身、 幕臣、軍学者、五稜郭で降伏そして明治政府の中で働く

別府新助 鹿児島出身、西郷軍の一員として戊辰戦争で戦い、西南戦争では西郷隆盛の元で働き、西郷の介錯をした人として有名ある。

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コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

戊辰戦争最後の地を訪ねたころが健康なころの最後でした。
箱館は、神戸と似ていて坂の多い町でエキゾチックな雰囲気が今もあります。

あの家康が作った江戸幕府も最後は
政府軍の圧倒的な軍力に敗れ去りました。土方は、無念だったでしょう。

京都と違った雰囲気ですよ。今年の夏にはぜひ行ってください。

素晴らしい記事ですね!
わたしは北海道に行ったことがないので、うらやましく感じながら読ませていただきました😊
「西郷どん」が懐かしいです!

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