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2018.09.09

京都 高瀬川沿い史跡8 お龍さん住家と龍馬隠れ家酢屋

龍馬の妻:お龍さんの住家と龍馬の隠れ家酢屋を紹介します。

お龍さん住家20
中京区木屋町通り六角下る東側
龍馬隠れ家酢屋9
中京区河原町通り三条下る一筋目東入北側
4

お龍さんの住家
Photo


今は、こんな感じになっています
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この場所は、医者をしていた父が亡くなって後にお龍さんと母と妹が住んだ場所です。

お龍さんは、1841年に生まれ、1864年23歳のころに龍馬と出会いました。

鹿児島へ龍馬と行ったのは、1866年3月(25歳)の時です。

1867年11月、近江屋で龍馬が暗殺された後は、高知の龍馬の実家などに行ったりしましたが馴染めず、

横須賀に移り住み、大道芸人をしていた西村松兵衛と再婚します(34歳)。

晩年は、アルコール依存症となり貧困のうちに1906(明治39)年亡くなりました。(享年66歳)

墓は、「坂本龍馬の妻}として横須賀の信楽寺にあります。
(参考資料:Wikipedia)

お龍さんが一番幸せだった龍馬と鹿児島に行った時の霧島神宮にあるパネル
4_3
この88日間の旅行が日本最初の新婚旅行と言われています

霧島神宮
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クリック拡大
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お龍さんの実家の近くにある
龍馬京都滞在場所「酢屋」(材木商)
Photo_2

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現在も材木商酢屋として営業しておられ、龍馬に関する展示もしておられます。




この場所は、海援隊の京都事務所でもあります
陸奥宗光など海援隊隊士の名前 
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PR:京都の龍馬ゆかりの地紹介本
(クリック拡大)
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コメント

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

お龍さんの生涯は、龍馬の死によって逆転しました。

龍馬が生きていたら貿易で巨万の富を築いたでしょうから、

その夫人に収まっていたでしょう。

めりいさん、紙上だからと言って適当な発言しなくていいのに。

私の想像では、5・・歳と思っていました。

お龍さんは66歳で亡くなったのですか。
あ・・私の今の齢(^^♪

幸せな時は短く、晩年は不幸だったのですね。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

88日間も一緒だと疲れるでしょう。

旅は、一人がいちばんいいでしょう。

新婚旅行いきたいですにゃ~~~!!

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