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2018.09.07

京都 高瀬川沿い史跡7 本間遭難地 古高邸跡

本間精一郎遭難の地と古高俊太郎邸跡を紹介します。

本間精一郎遭難地15
京都市下京区木屋町通り四条上る東側
古高俊太郎邸跡14
京都市下京区西木屋町四条上る
4
8池田屋  13中岡慎太郎寓居跡 

12近江屋(龍馬、慎太郎遭難の地)



本間瀬一郎
越後の出身で尊王攘夷派として活動しました。議論では相手を叩き潰してしまうほど才にたけていましたが、途中から酒色に溺れたために志士から嫌われ、1862年、先斗町からの帰りに薩摩・土佐の志士からこの地で暗殺されました。(享年29歳)


遭難の地
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22

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8






古高俊太郎
古高俊太郎は、梅田雲浜のもとで勤王思想を学び勤王志士とも交流のあった人物です。京都で枡屋湯浅喜右衛門と変名して、福岡藩黒田家御用達「枡屋」を構え、密かに武器を集め、同志と連絡をとったり援助をするなど、多くの志士が集う倒幕活動の拠点となっていました。

しかし、1864(元治元)年6月5日(旧暦)早朝、新選組に捕縛され壬生の屯所で拷問を受け自白させられ、これが、池田屋騒動の端緒となったと言われています。(享年36歳)

古高俊太郎邸宅跡
現在は、和食屋しる幸
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歴史史跡」カテゴリの記事

コメント

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

台風被害は、なかったですか。

日本中災害だらけ。

備蓄品のなかにアルコール入れていますか。

和食やしる幸で、冷酒のみた~~~~~い!!

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