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龍馬の妻:お龍さんの住家と龍馬の隠れ家酢屋を紹介します。
お龍さん住家20
中京区木屋町通り六角下る東側
龍馬隠れ家酢屋9
中京区河原町通り三条下る一筋目東入北側
お龍さんの住家
今は、こんな感じになっています
この場所は、医者をしていた父が亡くなって後にお龍さんと母と妹が住んだ場所です。
お龍さんは、1841年に生まれ、1864年23歳のころに龍馬と出会いました。
鹿児島へ龍馬と行ったのは、1866年3月(25歳)の時です。
1867年11月、近江屋で龍馬が暗殺された後は、高知の龍馬の実家などに行ったりしましたが馴染めず、
横須賀に移り住み、大道芸人をしていた西村松兵衛と再婚します(34歳)。
晩年は、アルコール依存症となり貧困のうちに1906(明治39)年亡くなりました。(享年66歳)
墓は、「坂本龍馬の妻}として横須賀の信楽寺にあります。
(参考資料:Wikipedia)
お龍さんが一番幸せだった龍馬と鹿児島に行った時の霧島神宮にあるパネル
この88日間の旅行が日本最初の新婚旅行と言われています
霧島神宮
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お龍さんの実家の近くにある
龍馬京都滞在場所「酢屋」(材木商)
現在も材木商酢屋として営業しておられ、龍馬に関する展示もしておられます。
この場所は、海援隊の京都事務所でもあります
陸奥宗光など海援隊隊士の名前
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本間精一郎遭難の地と古高俊太郎邸跡を紹介します。
本間精一郎遭難地15
京都市下京区木屋町通り四条上る東側
古高俊太郎邸跡14
京都市下京区西木屋町四条上る
8池田屋 13中岡慎太郎寓居跡
しかし、1864(元治元)年6月5日(旧暦)早朝、新選組に捕縛され壬生の屯所で拷問を受け自白させられ、これが、池田屋騒動の端緒となったと言われています。(享年36歳)
幕末に活躍した志士:武市瑞山(半平太)と吉村寅太郎の寓居跡を紹介します。
武市瑞山6と吉村寅太郎7
京都市中京区木屋町通三条上る東側
武市瑞山寓居跡
半平太とも言い、1860年に土佐勤王党を結成して、尊王攘夷に導きました。藩主:山内容堂が土佐勤王党を粛清したため投獄され、1865(慶応元)年に切腹しました。(享年37歳)
吉村寅太郎寓居跡
武市瑞山の隣に住んでいました
土佐の庄屋の生まれで、武市半平太に影響され、尊譲倒幕活動に加わりました。1863年大和国(奈良県)で天誅組を組織して倒幕の兵を立ち上げましたが、幕府軍の攻撃を受けて戦死しました。(享年27歳)
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吉村寅太郎墓(霊山護国神社墓)
天誅組合祀墓(てんちゅうぐみごうしぼ)
佐久間象山と大村益次郎関連の史跡の紹介です。
佐久間象山:信濃国松代藩出身で開国論を唱え、勝海舟や吉田松陰などに教えた。1864(元治元)年、暗殺されました。
大村益次郎:周防国(山口県)出身で緒方洪庵に学び、長州藩の軍を指揮しました。1869(明治2)年、暗殺されました。
地図
佐久間象山・大村益次郎遭難の地3
大村益次郎公遺址21
佐久間象山寓居址5
大村益次郎遭難(左)。佐久間象山(右)
遭難の地碑(地図番号3)
京都市中京区木屋町通御池上がる西側
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高瀬川沿い案内碑
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佐久間象山寓居5 大村益次郎公遺址21
佐久間:中京区木屋町通御池下る東側
大村:中京区木屋町御池上る東側
大村益次郎公墓(護国神社墓地)
護国神社