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2018.08.06

京都 高瀬川沿い史跡 1 川由来 角倉了以

京都の高瀬川沿いには、明治維新に関係した人物の史跡が沢山あります。今回からは、そんな史跡を紹介していきます。

高瀬川は、江戸時代初期に角倉了以(すみくらりょうい)によって開通され、中京区上樵木町を起点として京都と大阪の交易に寄与しました。

 

高瀬川の江戸時代初期(17世紀)の頃は、木材、練炭が高瀬舟に積まれて集まり、川沿いには、材木問屋、材木商の店、倉庫が立ち並びました。そこからこの辺りを「木屋町(きやまち)」と呼ばれました。

 

江戸中期(18世紀)には、人の往来が増え、料理屋、旅館、酒屋などの店が増えました。

 

幕末(19世紀)には、この辺りは繁華街になり、勤王志士の密会場所となり、坂本龍馬や桂小五郎などの寓居があり史跡が建っています。

 

高瀬川沿い地図
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18:一の舟入が高瀬川の起点です。
10:七の舟入
舟入とは、船の荷物の積み下ろしや方向転換を行う場所。二条から四条の間に9カ所作られていた。


高瀬川について(クリック拡大)
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一の舟入(地図18)
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高瀬川は、水深が浅いことから船底が平らな船が造られました。


クリック拡大
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舟入の 灯影に明くる 春の雪





七の舟入(地図10)
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角倉了以像(地図16の辺り)
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鴨川から水を引き、伏見・二条間をつなぐ高瀬川を施工した嵯峨の豪商



角倉了以別邸
中京区木屋町通二条下る東側
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現在は、和食がんご寿司店になっています。
以前には、長州藩軍人:山形有朋の住居
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森鴎外の短編小説に「高瀬舟」があります。
京都の罪人を遠島に送るために高瀬川を下る舟に、病気の弟を殺した喜助という男が乗せられた。護送役の同心である羽田庄兵衛は、喜助がいかにも晴れやかな顔をしている事を不審に思い、訳を尋ねます。 苦しがる弟を殺すのは罪なのかと安楽死ともう一つのテーマーについて書かれています。

 


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コメント

今年の夏は暑いので、水の写真を見るだけでも涼を感じます。
高瀬川の写真、涼しそう~

しずかさん
休暇中の訪問とコメントありがとうございました。

高瀬川沿いは、いい通りです、木屋町通りとも
言う地名も京都らしく、歌にも詠まれています。

写真は、2年ほど前に写したものですが、
いつか記事にしようと思いながらなかなかまたとまらず
やっと一つアップしました。

働く人にはうれしい夏休みですね。
今日は、朝からおもいっきり休みの空気を吸って
休みを満喫してください。

この通りは、幕末ファンにはたまらない通りですね。

「高瀬舟」もまた心に残る名作です。

京都らしい風情を味わえる通りでもありますね。

今日からしばらく夏休みです!

シネマさん
お休みのところ、訪問とコメントありがとうございました。

彼氏と遠出、いいですね。

二人で燃え上がって、熱中症以上に燃え尽きる
真夏の出来事が思い出にならないように。

こちらに、木屋町というお料理やさんあります!

今日は夏休み~彼氏と遠出してきます!

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