京都 高瀬川沿い史跡 1 川由来 角倉了以
京都の高瀬川沿いには、明治維新に関係した人物の史跡が沢山あります。今回からは、そんな史跡を紹介していきます。
高瀬川は、江戸時代初期に角倉了以(すみくらりょうい)によって開通され、中京区上樵木町を起点として京都と大阪の交易に寄与しました。
高瀬川の江戸時代初期(17世紀)の頃は、木材、練炭が高瀬舟に積まれて集まり、川沿いには、材木問屋、材木商の店、倉庫が立ち並びました。そこからこの辺りを「木屋町(きやまち)」と呼ばれました。
江戸中期(18世紀)には、人の往来が増え、料理屋、旅館、酒屋などの店が増えました。
幕末(19世紀)には、この辺りは繁華街になり、勤王志士の密会場所となり、坂本龍馬や桂小五郎などの寓居があり史跡が建っています。
高瀬川沿い地図
18:一の舟入が高瀬川の起点です。
10:七の舟入
舟入とは、船の荷物の積み下ろしや方向転換を行う場所。二条から四条の間に9カ所作られていた。
高瀬川について(クリック拡大)
一の舟入(地図18)
高瀬川は、水深が浅いことから船底が平らな船が造られました。
クリック拡大
舟入の 灯影に明くる 春の雪
七の舟入(地図10)
角倉了以像(地図16の辺り)
鴨川から水を引き、伏見・二条間をつなぐ高瀬川を施工した嵯峨の豪商
角倉了以別邸
中京区木屋町通二条下る東側
現在は、和食がんご寿司店になっています。
以前には、長州藩軍人:山形有朋の住居
森鴎外の短編小説に「高瀬舟」があります。
京都の罪人を遠島に送るために高瀬川を下る舟に、病気の弟を殺した喜助という男が乗せられた。護送役の同心である羽田庄兵衛は、喜助がいかにも晴れやかな顔をしている事を不審に思い、訳を尋ねます。 苦しがる弟を殺すのは罪なのかと安楽死ともう一つのテーマーについて書かれています。
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今年の夏は暑いので、水の写真を見るだけでも涼を感じます。
高瀬川の写真、涼しそう~
投稿: めりい | 2018.08.19 13:32
しずかさん
休暇中の訪問とコメントありがとうございました。
高瀬川沿いは、いい通りです、木屋町通りとも
言う地名も京都らしく、歌にも詠まれています。
写真は、2年ほど前に写したものですが、
いつか記事にしようと思いながらなかなかまたとまらず
やっと一つアップしました。
働く人にはうれしい夏休みですね。
今日は、朝からおもいっきり休みの空気を吸って
休みを満喫してください。
投稿: ラメール | 2018.08.10 11:48
この通りは、幕末ファンにはたまらない通りですね。
「高瀬舟」もまた心に残る名作です。
京都らしい風情を味わえる通りでもありますね。
今日からしばらく夏休みです!
投稿: しずか | 2018.08.10 06:55
シネマさん
お休みのところ、訪問とコメントありがとうございました。
彼氏と遠出、いいですね。
二人で燃え上がって、熱中症以上に燃え尽きる
真夏の出来事が思い出にならないように。
投稿: ラメール | 2018.08.06 11:24
こちらに、木屋町というお料理やさんあります!
今日は夏休み~彼氏と遠出してきます!
投稿: シネマ大好き娘 | 2018.08.06 04:15