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2018.05.16

京都 島原大門

島原大門(しまばらおおもん)は、京都の花街である島原の東入口にあたる大門です。
島原は、1640(寛永17)年ころできた幕府公認の遊興の場所で、当初は東側の大門のみでしたが、1732(享保17)年に西門ができました。


島原を江戸の吉原と同じ遊郭と思われがちですが、ここは、誰でも入れて、家族みんなで食事をしたり娯楽を楽しむ場所でした。

島原大門地図
京都市下京区西新屋敷町
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島原大門
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見返り柳
遊んだ客が名残を惜しんで振り返った場所
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島原の正式名称は西新屋敷
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島原は、明治以降衰退して今では、輪違屋と角屋と大門の3ヵ所が当時の面影を残しています。
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輪違屋(わちがいや)
300年以上も営業を続けておられるお茶屋で、現在では、揚屋と置屋を兼ね備えておられます。入り口に「観覧謝絶」の札。未公開
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きんせ旅館
元は揚屋さんでしたが現在は、1階はカフェー&バー、2階は一日一組だけの宿泊可の旅館です。
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揚屋(あげや)は、置屋から芸者などを呼んで酒宴を開いた家
置屋(おきや)は、芸者さんたちが居た場所


幕末には、志士の桂小五郎、西郷隆盛、久坂玄随など、又、新選組の近藤勇、土方歳三、芹沢鴨などが出入りしていました。




歌舞練場跡
1873(明治6)年に開設され、芸者さんたちの教育の場で、刺繍や裁縫を教えていましたが、その後内容が変わってゆき1996(平成8)年に解体されました。
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島原住吉神社
昔は、広大な敷地をもっていて、太夫、芸妓の練り歩きが行われていました。

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島原西門跡
島原は、最初は東入り口門だけでしたが、1732(享保17)年に西門ができました。
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次回は「角屋(すみや)」です

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歴史史跡」カテゴリの記事

コメント

めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

輪違屋に行かれたのですか。

なかなか写真OKにならない所が多いです。

ルーブル美術館は、フラッシュ無しならOKだったと思います。

こんな所も欧米と日本の違いなんですね。

大河ドラマが新選組の年に、輪違屋が公開されました。
でも写真は撮れなかったので、中に何があったか、もうすっかり忘れました((+_+))
やっぱり写真で記録しておかないと、頭で覚えるのはムリムリ(^^♪

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

今は、昔のにぎわいはありませんが、当時の華やかさが
想像できます。
吉原と違った花街だったとか。
社交の場で多くの人が出入りしていた建物が
今もそのまま残っているのがいいですね。

島原の雰囲気良いですね。
この辺り、昨年改めて歩きましたが、当時の花街に思いをはせながら
歩くと味わい深いです。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

私もここは入っていあせんが、一度は入ってみたい所です。
一組限定の宿泊は、外人さんがほとんどらしいです。

旅館のカフェバー、よさげですね!

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