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2017.09.02

大河ドラマ井伊直虎の史跡巡り(1) 共保公井戸 井伊谷宮

今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、歴史的にほとんど知られていない人ですので、ドラマを見ていて、本当にこれに近い人物や出来事があったのか疑問に思っていたので、現地の浜松市井伊谷を訪ねてみました。



 

井伊氏初代の井伊共保(ともやす)公出生の井戸

1010(寛弘7)年に、井戸のそばに捨てられていた男の子が井伊家初代の共保公でした。後に遠江国司藤原共資の養子となり藤原姓を名乗り、井伊谷に館を構え、名字を「井伊」と改めました。
浜松市井伊谷に行くと井伊氏、直虎に関する史跡が多く保存されていました。

 

田んぼの中にある井戸

 

「井伊氏祖備中守藤原共保出生之井」の碑

 

 

1851年に井伊大老直弼(なおすけ)公が立ち寄られ読まれた歌
大老は、1860年に暗殺される(桜田門外の変)

 

 

龍潭寺よりすぐのところにあります。

 

井伊谷宮
創立は明治5年。後醍醐天皇第四皇子である宗良(むねなが、むねよし)親王を祀っている社です。

宗良親王は、南北朝時代(1336~1392)にこの井伊谷を本拠に50余年の間、吉野朝方のためにご活躍されました。

また、親王は、幼少の頃より和歌に秀で、多くの和歌を詠まれ、歌集も編纂されています。1385(元中2)年にこの地を訪ねられ、同年、73才でこの地で亡くなられたと伝えられています。







本殿






 
 
井伊谷宮の中に親王の和歌が多数紹介されています。


親王が遠江国の井伊城に住んでいた頃、浜名の橋付近の景色を見ての詠んだ歌。


※浜名の橋 浜名湖と遠州灘をつなぐ浜名河に架かっていた大橋
はるばると朝満つ潮のみなと


舟こぎ出づるかたはなほ霞みつつ(李花集)
(河口に朝潮が満ち渡り、湊出入りの船が漕ぎ出てゆく、沖の方は霧が深くたちこめている。)


夕暮は湊もそことしらすげの
入海かけてかすむ松原



宗良親王のお墓
明治時代5年、井伊直憲(彦根藩最後の藩主)が井伊谷宮の創建とお墓の修復をおこないました。





 

井戸、井伊谷宮、龍潭寺の場所 
浜松市北区引佐町井伊谷1991-1

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