大河ドラマ井伊直虎の史跡(2) 龍潭寺
何故、直虎は、幼少時、「次郎法師」と名乗ったか
1544(天文13)年、直虎(幼名不明)の許嫁である従弟の亀之丞の父:直満が今川義元に謀反の疑いをかけられて殺され、亀之丞も命を狙われたため、信濃(長野県)の松源寺に身を隠しました。直虎も身を守るために井伊家の菩提寺である龍潭寺(りょうたんじ)の第2世住職:南渓和尚(俳優:小林薫)のもとで出家を決意し、名前を井伊家跡継ぎの証である次郎をつけ「次郎法師」と名乗りました。
※1730年、龍潭寺9代目住職が記した井伊家の歴史書に「次郎法師は、女であるが、井伊家を継ぐ家に生まれたので、跡継ぎの名と僧侶の名をかねて、次郎法師という」といったことが記されています。
龍潭寺は、NO4の紀行で紹介されています。
龍潭寺配置図
山門
仁王門
本堂
井伊家の家紋(橘 井)
井伊家霊廟
次郎法師と母のご位牌が祀られています。
梵鐘
庭園
今も昔のままの土塀で囲まれています。
丈六の釈迦牟尼佛(じょうろくのしゃかむにぶつ)
遠州地方第一の大仏で、丈六とは、1丈6尺(5m)の寸法をいいます。座像ですので約3mの大きさ。1729(享保14)年作。
宗良親王ご位牌
南朝方の武将として、井伊谷の砦で戦いました。
井伊家の駕籠
井伊家赤備具足
井伊家の歴史
子育て地蔵
虎松(後の彦根18代藩主井伊直政公)の母は、龍潭寺松岳院に身を寄せて、お地蔵さんを造り、そばに神木「なぎ」を植えて虎松の安泰を祈っていました。
なぎの木
松岳院
直虎が晩年過ごした場所
猛烈な雨風の日でしたが、沢山の観光客が来ておられました。
龍潭寺
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
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