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2017年9月

2017.09.29

ランチ

ランチ

2017.09.27

明石海峡 ラブスポット

明石海峡 ラブスポット
明石海峡大橋が見えるデートスポット

「アモーレ  明石」

2017.09.22

きんめ鯛定食

1600円です

きんめ鯛定食

甘辛く煮てあったのでちょっと残念、

でも、食べたかった魚です。

2017.09.19

子午線の通る町 明石市

子午線の通る町  明石市
大蔵海岸ランニングコース中崎公園南

2017.09.18

子午線の町 明石市  天文科学館

明石市立天文科学館
日本標準時子午線の真上に建設し、1960(昭和35)年6月10日(時の記念日)に開館しました。

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兵庫県明石市人丸町2-6

2017.09.16

大河ドラマ井伊直虎の史跡(8)    引間城 浜松城 

井伊谷を中心に直虎史跡を紹介してきましたが、浜松で徳川家康を紹介しないわけにはいきませんので、浜松城と引間城を紹介します。

 

引間城
この城は15世紀頃に築城されており、16世紀に入って今川氏の配下となる。1568年(永禄11年)に今川方の拠点であった引間城(ひくまじょう)を攻め落とした徳川家康は、城を大幅に拡大して浜松城と改称しました。現在は、この地に徳川家康を祀る浜松東照宮が建てられています。江戸時代には、東照宮付近に古城として記されています。

 

 

 

徳川家康は、武田軍に三方ヶ原の戦いで敗れ、撤退したのがこの引間城あたりでした。

 

 

右 1551年、初めて武家奉公がかなった頃(16歳)の秀吉公

左 1573年 三方ヶ原合戦時の家康公の雄姿(31歳)

 

 

浜松城
1570(元亀元)年に家康が入城して浜松城と改称して拡張もしました。1586(天正4)年に駿府に拠点を移すまでここに住んでいました。

 

 

  

 

 

天守閣から東を望む

 

 

城内にある家康像
  

 

直虎ちゃんと家康くん

 

天守閣内にある井戸

 

 

鎧掛松(お城の東側にあります)

 

 

浜松城地図

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2017.09.15

子午線の町明石2

明石市役所近くにあります

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2017.09.14

大河ドラマ井伊直虎の史跡(7)     ドラマ館 気賀関所跡  

直虎史跡巡りは、今回が最後です。

直虎という歴史上まったくの無名の人物が大河の主役になるのに不安がありましたが、今回の直虎史跡巡りで、多くの史跡が残っており、大切に保存されているのに驚きました。ドラマでは、龍雲丸という面白い役も登場して、これからの展開がますます楽しみです。

浜松市は、今年の大河ドラマの直虎で大いに盛り上がっていますが、それに便乗して、歴史上では、直虎よりはるかに大きな存在ですが、もうひとつ人気のない徳川家康のPRも同時にやっています。

今回は、大河ドラマ直虎の「大河ドラマ館」と直虎と家康のPR用の「出世の館」を紹介します。

 

大河ドラマ館

井伊家の居館内をイメージしたセットや、出演者の衣装や小道具などが展示されるほか、パノラマシアター、浜松でのロケ地や直虎ゆかりの地を紹介するコーナーなどがあります。

 

ドラマ館入り口です。入り口右側で写真撮影ができます。

 

館内でここだけは、写真撮影OKです。

ドラマのシンボルでもある井戸です

 

 
直親(三浦春馬) 直虎(柴咲コウ) 政次(高橋一世) 

 

ドラマで使われている井伊家屋敷

 

ドラマ館は、ドラマにもよく登場する「気賀」にあります。
浜松市北区細江町気賀369
(天竜浜名湖鉄道「気賀駅」から徒歩1分)

 

直虎さんも色々あります
 

 

浜松出世の館
直虎、家康をよりよく知ってもらうためのスポットで、お土産なども販売しており、休憩場所としても利用できます。

 

浜松市中区旭町37(JR浜松駅より3分) 入場は無料

 

 

黄金の鎧

 

自動販売機も直虎仕様です

 

浜松駅の直虎、家康PRコーナー

 

 

浜松駅北側

 

気賀関所跡
浜名湖の北を通る交通の拠点で北へ行けば井伊谷、南に行けば浜名湖に通じ重要な場所です。NO21「ぬしの名は」の紀行で紹介されています。
このブログでも、5月29日気賀関所、5月31日気賀宿場としてすでにアップされています。

 

 

大河ドラマ館は、気賀関所の隣にあります
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2017.09.12

子午線の町 明石市

東経135度
大日本中央標準時子午線通過地識票
子午線の町  明石市

横に「子午線交番」があります
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明石市天文町2丁目2

大河ドラマ井伊直虎の史跡(6)    地域センター 二股城

直虎が活躍した井伊谷の中心部の地図です

東西約900m、南北約1000mの範囲内に直虎関連の史跡があります。

直虎は、この範囲内で活躍しました。

 

(直虎パンフレットより)

 

 

地域遺産センター

開館記念特別展「戦国の井伊谷」やジオラマ「井伊谷戦国絵巻」を開催中です

 

直虎のサインのある書類
今川氏の関口氏と連著で徳政令を命ずる内容が書かれています。次郎直虎のサインがある唯一の書類です。

 

幼少期の直虎の許嫁:直親が吹いていた笛



二宮神社
井伊郷を納めていた三宅氏が、その祖神である多道間守を祀った神社だという。
後、醍醐天皇の皇子・宗良親王を合祀し、二柱の神を祀ることとなり、二宮神社と改称されたという。
 

 

井伊谷交差点
現在の井伊谷の中心地です。昔は、この辺りは、田んぼか森だったのでしょう。

 

商店街通り
井伊谷一番の繁華街です。みそまんを売ってるお店もあります。

 

奥浜名湖の銘菓「みそまん」や直虎グッズを販売するお店があります。

 

二股城(ふたまたじょう)
ここは、井伊谷から少し離れて場所になります。
二俣城の戦いは、1572(元亀3)年、武田信玄軍と徳川家康軍による遠江北部の二俣城攻防戦である。

 

山頂にお城跡(石垣)があります

 

二股城地図:浜松市天竜区二俣町
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2017.09.10

大河ドラマ井伊直虎の史跡(5)    井伊家と家臣の屋敷跡

井伊家屋敷跡、家臣の屋敷などもしっかり残っています。
井伊谷自身そんなに広くないので歩いて史跡巡りをすることができます。

 

井伊谷城

 

井伊谷城の麓に館がありました。

 

現在は公民館です

 

 

 

井戸の塚
井伊屋敷の一角にあります
1544(天文13)年、小野道高の告げ口で、今川義元への謀反の疑いをかけられ、井伊直満と弟の直義が殺されました、彼らの墓です。

 

 

 

足切観音堂(あしきりかんのん)

宗良親王が戦の最中に足を負傷し落馬しましたが、怪我はなく代わりに護持仏の片足が血に染まったという伝説があります。

直虎の叔父;井伊直満の屋敷跡とも言われています。

 

観音堂入り口
Photo

 

 

小野屋敷跡

 

松下家屋敷跡
松下嘉兵衛は小豪族で頭陀寺城の近隣の領地を支配していました。
井伊直政(虎松)は松下一門の松下清景の養子となり徳川家康公の側近として活躍しました。
豊臣秀吉が木下藤吉郎((14歳~17歳)と名乗っていたころここで奉公していました。

 

 

100m四方ほどの敷地がありました
(現在は第一公園)

 

 

この辺りも松下家の敷地内でした

 

頭陀寺
松下家の屋敷敷地内にあります。もとはお城でした。

 

本堂

 

直政 家康 秀吉像(右から)

 

 

浜松市南区頭陀寺町
松下家屋敷地図
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2017.09.08

明石海峡大橋とはと

明石海峡大橋とはと

2017.09.07

コーヒー

コーヒー

大河ドラマ井伊直虎の史跡(4)   妙雲寺 渭伊神社

大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、歴史的にはほとんど知られていない人物であり出来事ですが、今回、舞台である静岡県浜松市井伊谷に行き、直虎および関連の史跡を訪ねた結果、けっこう沢山の史跡が残っていて、毎回のように出てくる井戸や龍潭寺などもその史跡を見てきたので、そこからストーリーを想像して、ドラマを本当にあった話のように感じながら見ています。

 

今回は、直虎の菩提寺:妙雲寺と井伊家の氏神である渭伊神社を紹介します。

 

妙雲寺
もとは自耕庵と言われていましたが、直虎がこのお寺に葬られ院号が「妙雲院殿月泉祐園禅定尼」であるところから妙雲寺と改められました。

 

 

本堂

 

 

直虎位牌 院号「妙雲院殿月泉祐園禅定尼」
院号の妙雲からこのお寺の名前が自耕庵から妙雲寺に変わりました

 

南渓和尚大禅師(龍潭寺和尚)

 

南渓和尚肖像画

 

直虎お墓
妙雲寺の敷地の中にポツンと直虎のお墓があります。

 

 

 

直虎ちゃんと家康君ゆるキャラ

 

渭伊神社(いいじんじゃ)
井戸や井水を祭祀の対象とした神社で、井伊氏の氏神となりました

 

 

御神木

 

 

 

天白盤座遺跡(てんぱくいわくらしせき)
渭伊神社の裏手にあって、土器などが出土しています

 

古墳時代の巨石祭祀が行われたところと伝わっています。
渭伊神社のルーツはここにあるようです。

 

 

妙雲寺 渭伊神社(直虎の墓は拡大で見れます)
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2017.09.06

はと 明石海峡大橋

はと 明石海峡大橋

2017.09.05

大河ドラマ井伊直虎の史跡(3)  龍潭寺の井伊家の墓

龍潭寺には、井伊家と家臣のお墓があります。

江戸時代の龍潭寺の境内図
現在の境内とほとんど同じです。このお寺が大切に守られてきたのがわかります。

 

 

 

22代直盛 直虎の父親(俳優:杉本哲太)桶狭間の戦いで死亡
 直盛夫人 直虎の母(女優:財前直見)新野左馬助の妹
直虎   おんな城主、次郎法師(女優:柴咲コウ)
23代直親 元直虎の許嫁 亀之丞(俳優:三浦春馬)
 直親夫人 直親の正室 24代直政の母(女優:貫地谷しほり)
24代直政 幼少名虎松 後の初代彦根藩主(俳優:菅田将暉)


 

 

 

桶狭間戦死者の墓
1560年、織田信長が今川義元軍を打ち破った戦い。井伊家22代直盛公に従って今川方で戦って戦死した武将16名を祀っています。

 

 

 

右のお墓が松下家の墓↑
松下常慶(俳優:和田正人)は山伏で情報収集する

 

奥山家三代の墓
奥山朝利(俳優:でんでん)妹しのは直親の正妻

 

 

近藤康用公の墓

 

 

近藤康用以外に鈴木重時、菅沼忠久の墓があります。

この3人は井伊谷3人衆として今川の配下にありましたが、今川氏真が井伊氏を滅ぼそうとしたのに腹をたて、徳川家康方に味方して、家康の遠州進出を援けました。

 

新野左馬助公の墓(俳優:刈谷俊介)
井伊直盛夫人:千賀の兄で、今川家臣でありながら井伊家のために働きました。

 

 

武将の墓

 

 

小野家、菅沼家などのお墓があります。

 

井伊直政公碑
直虎が後見人として育て、15歳で家康の家臣となり、関ケ原合戦後は彦根18万石の城主となり徳川軍団の筆頭として徳川家を支えました。

 



2017.09.04

明石海峡大橋

明石海峡大橋

大河ドラマ井伊直虎の史跡(2)   龍潭寺

何故、直虎は、幼少時、「次郎法師」と名乗ったか

1544(天文13)年、直虎(幼名不明)の許嫁である従弟の亀之丞の父:直満が今川義元に謀反の疑いをかけられて殺され、亀之丞も命を狙われたため、信濃(長野県)の松源寺に身を隠しました。直虎も身を守るために井伊家の菩提寺である龍潭寺(りょうたんじ)の第2世住職:南渓和尚(俳優:小林薫)のもとで出家を決意し、名前を井伊家跡継ぎの証である次郎つけ「次郎法師」と名乗りました。

 

※1730年、龍潭寺9代目住職が記した井伊家の歴史書に「次郎法師は、女であるが、井伊家を継ぐ家に生まれたので、跡継ぎの名と僧侶の名をかねて、次郎法師という」といったことが記されています。

 

龍潭寺は、NO4の紀行で紹介されています。

 

龍潭寺配置図

 

山門

 

仁王門

 

本堂

 

井伊家の家紋(橘 井)

 

井伊家霊廟
次郎法師と母のご位牌が祀られています。

 

梵鐘

 

庭園

 

 

今も昔のままの土塀で囲まれています。

 

丈六の釈迦牟尼佛(じょうろくのしゃかむにぶつ)

遠州地方第一の大仏で、丈六とは、1丈6尺(5m)の寸法をいいます。座像ですので約3mの大きさ。1729(享保14)年作。

 

 

宗良親王ご位牌

南朝方の武将として、井伊谷の砦で戦いました。

 

井伊家の駕籠

 

井伊家赤備具足

 

井伊家の歴史

 

子育て地蔵
虎松(後の彦根18代藩主井伊直政公)の母は、龍潭寺松岳院に身を寄せて、お地蔵さんを造り、そばに神木「なぎ」を植えて虎松の安泰を祈っていました。

 

なぎの木

 

松岳院
直虎が晩年過ごした場所

 

 

猛烈な雨風の日でしたが、沢山の観光客が来ておられました。

 

龍潭寺
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989

2017.09.02

大河ドラマ井伊直虎の史跡巡り(1) 共保公井戸 井伊谷宮

今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、歴史的にほとんど知られていない人ですので、ドラマを見ていて、本当にこれに近い人物や出来事があったのか疑問に思っていたので、現地の浜松市井伊谷を訪ねてみました。



 

井伊氏初代の井伊共保(ともやす)公出生の井戸

1010(寛弘7)年に、井戸のそばに捨てられていた男の子が井伊家初代の共保公でした。後に遠江国司藤原共資の養子となり藤原姓を名乗り、井伊谷に館を構え、名字を「井伊」と改めました。
浜松市井伊谷に行くと井伊氏、直虎に関する史跡が多く保存されていました。

 

田んぼの中にある井戸

 

「井伊氏祖備中守藤原共保出生之井」の碑

 

 

1851年に井伊大老直弼(なおすけ)公が立ち寄られ読まれた歌
大老は、1860年に暗殺される(桜田門外の変)

 

 

龍潭寺よりすぐのところにあります。

 

井伊谷宮
創立は明治5年。後醍醐天皇第四皇子である宗良(むねなが、むねよし)親王を祀っている社です。

宗良親王は、南北朝時代(1336~1392)にこの井伊谷を本拠に50余年の間、吉野朝方のためにご活躍されました。

また、親王は、幼少の頃より和歌に秀で、多くの和歌を詠まれ、歌集も編纂されています。1385(元中2)年にこの地を訪ねられ、同年、73才でこの地で亡くなられたと伝えられています。







本殿






 
 
井伊谷宮の中に親王の和歌が多数紹介されています。


親王が遠江国の井伊城に住んでいた頃、浜名の橋付近の景色を見ての詠んだ歌。


※浜名の橋 浜名湖と遠州灘をつなぐ浜名河に架かっていた大橋
はるばると朝満つ潮のみなと


舟こぎ出づるかたはなほ霞みつつ(李花集)
(河口に朝潮が満ち渡り、湊出入りの船が漕ぎ出てゆく、沖の方は霧が深くたちこめている。)


夕暮は湊もそことしらすげの
入海かけてかすむ松原



宗良親王のお墓
明治時代5年、井伊直憲(彦根藩最後の藩主)が井伊谷宮の創建とお墓の修復をおこないました。





 

井戸、井伊谷宮、龍潭寺の場所 
浜松市北区引佐町井伊谷1991-1
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