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2017.04.12

根来寺とさくら(和歌山県)

根来寺は、平安後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1132(長承元)年に高野山内に一堂を建て、大伝法院と称したことに始まる。

その後、1140(保延6)年には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。覚鑁一門は高野山を下りて、根来にある豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移しさらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。
豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は3年後の1143(康治2)年、この地で49歳の生涯を閉じました。

その後、大いに繁栄しますが、天下統一を目指す豊臣秀吉と対立して、1585(天正13)年大塔などを残して全山消失しました。
江戸時代になって徳川家の庇護のもとで復活して、現在の境内は36万坪、四季の変化に富んで多くの参拝客でにぎわっています。

根来寺大門

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桜満開でした(4月6日)
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大伝法堂(根来寺の本堂)
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大塔(高さ40Mの木造建築で国宝)
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大師堂(弘法大師さまをお祀りしています)
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奥の院
宗祖覚鑁(かくばん)上人のお墓
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光明殿
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不動堂
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根来寺(和歌山県岩出市根来2286)

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コメント

しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

古寺とさくら、なかなか見ごたえのある風景でした。

秀吉に抵抗するほどの力をもっていたようです。

交通の便がわるいので、何か所も廻るのは
大変です。

根来寺もまだ行けていません。
粉河寺とセットで行くのが良いのでしょうね。
春はいつも京都の桜を見ていますが、
たまには違う土地の桜を愛でるのもいいですね。

めりいさん
訪問とコメントありがとうございます。

ここは、先日、和歌山の桜と古寺、社を訪ねる歴史探索もかねて、
同好の人と車で廻りました。

なかなか見ごたえのあるお寺です。
徒歩で行くとちょっと時間がかかりすぎます。

根来寺に行きたいと思いながらも、交通の便が悪いので、いまだ行けていません。
ラメールさんは、車で行かれたのですか?

根来衆は雑賀衆とともに強力な僧兵で秀吉に抵抗したそうですね。
興味あるお寺なので、いつか行きたいと思っています。

シネマさん
訪問とコメントありがとうございました。

神戸は、今が桜満開です。

今年は、花見に何回行かれましたか。

桜~満開ですね~

日本人で、よかった~

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