粉河寺と桜(和歌山県)
大門

仁王像


大門裏側

芭蕉句碑と丈六堂
「ひとつぬきて うしろのおいぬ ころもがえ」

湯浅桜と六角堂


薬師堂

鐘楼と本堂と桜


クスノキ

このクスノキについて、寺伝によれば770年頃の記述があります


たのもしの宮(産土神社)







御神木
和歌山県下3番目の大木で、紀伊風土記に「境内に噂の大木あり」と書かれています。



和歌山県紀の川市粉河2787
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根来寺は、平安後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1132(長承元)年に高野山内に一堂を建て、大伝法院と称したことに始まる。
その後、1140(保延6)年には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。覚鑁一門は高野山を下りて、根来にある豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移しさらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。
豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は3年後の1143(康治2)年、この地で49歳の生涯を閉じました。
その後、大いに繁栄しますが、天下統一を目指す豊臣秀吉と対立して、1585(天正13)年大塔などを残して全山消失しました。
江戸時代になって徳川家の庇護のもとで復活して、現在の境内は36万坪、四季の変化に富んで多くの参拝客でにぎわっています。
根来寺大門
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桜満開でした(4月6日)
大伝法堂(根来寺の本堂)
大塔(高さ40Mの木造建築で国宝)
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大師堂(弘法大師さまをお祀りしています)
奥の院
宗祖覚鑁(かくばん)上人のお墓
光明殿
不動堂
根来寺(和歌山県岩出市根来2286)
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