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2016.11.24

石田三成史跡5/6 供養塔

秀吉の死後、多くの大名は、徳川になびいていったが、三成は、秀吉の恩義を忘れることなく、豊臣の後継者:秀頼を守って関ヶ原で、徳川家康と天下分け目の一線を交えるが、小早川秀秋の裏切りで敗れました。そして、捕えられ京都四条河原で処刑されました。享年41歳

徳川幕府の追及を逃れるため石田町には、石田姓は一人もいなくなり、石田一族の墓は破壊され、村人によって埋められましたが、1973(昭和48)年に、八幡神社東側に、掘り起された石田一族の墓を集めて「石田三成公一族及家臣供養塔」を建立しました。

 

三成公供養塔&八幡神社

(滋賀県長浜市石田町548)

八幡神社は石田会館の右隣です。八幡神社は、近くの町にもありますので、間違いのないようにしてください。

 

石田地図

 

供養塔碑

 

石田三成一族及家臣供養塔

供養塔

 

三成辞世の歌

辞世の歌

「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と

    ともに消えゆく 我が身なりけり」
筑摩江にともるかがり火が消えるように、自分も消えていくのだな・

※ 筑摩とは、現米原市の地名。  

※ 芦(琵琶湖のヨシ)

 

 

自筆歌

左:石田三成公自筆の歌
  残紅葉 散り残る紅葉は ことにいとおしき
  秋の名残は こればかりぞと
右:残照の空に あづけし柿一つ

 

板




奥の石碑あたりから石田一族の墓石が出土しました。

石棺の蓋(300m離れた川にかけられていた橋で石棺の一部だったことがわかりました)

墓石出土

 

石棺板

 

八幡神社の中に石田神社があってそこに供養塔はあります。

石田神社

 

案内板がありますから分かりやすいです

案内

 

道路から見ると供養塔・八幡神社は、木で覆われています

場所

 

八幡神社(三成供養塔はここにあります)

八幡神社

 

八幡神社2

 

八幡境内

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歴史史跡」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
コメントありがとう。

三成関連施設は、よく管理されていますね。

真田丸の前半は、三成が活躍したので、

よけいに人気がでたようです。

真田丸もいよいよ終わりです。

石田町に行くと、三成がいかに今でも大切にされているかがわかります。

地元の人々にきちんと管理されていますね。

シネマさん
コメントありがとう。

残火???聞いたことないですよ。

ユーミンは、初期の頃だけです。

かがり火より、残火!

ユーミンの残火いいですよん!

毎日車の中で聞いています!

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