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2016.10.27

石田三成史跡 1/6 出生の地

石田三成は、1560(永禄3)年、長浜市石田町(坂田郡石田村)で石田正継の次男として 生まれた。 幼名は佐吉。父正継は浅井の家臣でした。

石田家屋敷跡(石田会館)

三成屋敷跡
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石田家は、この辺りの豪族で屋敷も石田会館~産湯の井戸辺りの約1町4反(約東京ドームグラウンド部分と同じくらい 約14000㎡)ぐらいあったと言われています。この地域の小字名は、三成の官命をとって「治部」と言って、俗称「ごいで」とも言われています。

小字名治部{ごいで」と書かれています。石田会館内

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屋敷の北側に、産湯の井戸が残っています。

交差点から北へ行き左に曲がるとあります。
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現在は、石田会館になっていますが、石田三成屋敷跡で、このあたりが屋敷の南にあたるようです。
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屋敷跡の一画に治部池があり、奥に治部清水が湧き出ています。(石田会館内)

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現在の石田町の中心の交差点は、石田家の屋敷内で、その碑が建っています。
石田のバス停は、「出会いの広場」になっています。
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三成電燈
三成旗印とお茶を献じるところが描かれています。
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三成の家紋
「大一大万大吉」は、源平合戦の時代に木曾義仲を討ち取った石田次郎為久が使ったものを、三成が気に入って旗印にしました。

これは、「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」という三成の考えを表しています。

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交差点は、石田家の屋敷内にあって、東に向かって行き、山を越えると三成が秀吉に会った観音寺があります。
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西を向いており、この先には長浜城があります。
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町の中には三成に関する史跡の案内板が建っていますので分かりやすいです。
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歴史史跡」カテゴリの記事

コメント

しずかさん
コメントありがとう。

真田丸の山本三成は、すばらしいできでした。
今後、三成を想像するときは、山本三成を思い出すでしょう。

共同ブログにあげたのを再度アップしました。

石田会館は、入りました。
数少ない三成の資料が展示されていました。

新シリーズが始まったのですね!

この辺り、昔まわったので、懐かしく思います。

三成公が、この土地の人に大切にお祀りされているのを感じました、

石田会館の中は見学されましたか?


明日から高野山に行って来ます!

シネマさん
コメントありがとう。

若者の出会いの場と言われるほどのスポットにはなって
いないようです。

昔の人の屋敷は、広かったようです。

出会いの広場で、出会いがあるといいですねheart02

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